テレコミュニケーションの中の身体、路上から 『On Our(My) Way』

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『On My Way』中継風景。定点カメラだけでなく、それぞれの携帯やPCからの視点が交錯する。中段左端に、主催の一人、磯村暖さん

 

昨日、オンラインで、花崎草さんのパフォーマンスを見ました。場所は、UGO(うごう・烏合)という、新大久保に新しくできたオープンなアートスペース(の前の路上)です。花崎さんについては以前も記事を書きましたし、UGOについてはこちら

 

それで、見た感想としては、けっこう面白く、新しい感じがしました。パフォーマンスは次のような感じです。単純にいうと、UGOの前の路上(ピンク色!)で、小さい机を一つ置いて。あとは、ブラウンのジャケット・パンツ(ズボン)姿の花崎さんが、基本的には地面を這っている、という感じでしょうか。16時から開始で、少し遅れて見はじめましたが、どうやら最初に液体を頭からかぶり(大きいタライのようなものを使ったようです)、途中で飲み物を飲んだり、お湯をかぶったり、立ち上がっていたりしたようです。約2時間ほど。

 

面白かったのは、オンラインで参加できるというか、ズームのようなシステムがあって。花崎さんはいわばテレコミュニケーションが行われている空間の中で(も)身体を置いていたようなのでした。具体的には、アドレスのリンクをクリックすると、すぐにズームっぽいサイトに飛んで。それぞれの携帯やパソコンから見ることができます。カメラの1台はあらかじめ路上の机にあって、花崎さんをいわば中継しているカメラでした。他にもUGOの店内の様子や、店内に置かれたパソコンからのカメラ中継で、多元的です。さらに、スタッフの方々も、花崎さんを自分の位置から中継していて、視線が色々な角度から(店内や路上へ・路上から)交錯しているようなところが出来上がっていました。

そして、こういうカメラ視線の交錯のなかに、花崎さんもじかに入ってきます。どういうことかというと、たぶんヘッドセットのイヤホンとマイクを装着していて。そのイヤホン=マイクは、カメラの一つとつながっている。つまり、花崎さんはその画面の一つから、音声で、聞いたり話したりできるというわけです。お店にあるPCとか、それぞれの携帯からとか、話しかけると(おおむね)路上に這いつくばっている花崎さんと話ができる。挨拶から、今どんな感じかとか、作品についてとか。あるいは、パフォーマンスについての連想とか。カメラでは直接に近づいて花崎さんを見ることはできませんが(また花崎さんも、他の人を直接に視認していることもあまりなさそうでしたが)声だけはインターネットを介して中継されている。

ちょっと不思議な感じでしたね。体から、声と、あとは、その声が担っている思考というのでしょうか、それが切り離されて。テレコミュニケーション空間内にあるというのような。そうした感覚を受けました。いいかえると、路上では、これまたひどく緩慢に横たわって動いているところが見えるので、そうしたちょっと非日常的な風景と、鋭敏な声と思考との落差が、そのままPC画面から登場するようでした。

 

こうした身体と声(ないし思考)が切り離されている、という感覚を受けたパフォーマンスは、個人的には飴屋法水さんの「バ(ニシ)ング(ポイ)ント」や「ソ(ク)シン(ブ)ツ」を思い出させます。バングントでは、木の箱に数週間はいっていて、中は見えない、けど、そっとノックすると、そっと返事が返ってくる、という限界まですり減らされたようなコミュニケーションを体験したようなことがありました。またソクシンブツでは、逆に座り込んだまま人形のように動かないところで、声も思考もない身体を見ているという不思議な感覚を受けました。

それと似たような感覚を、今回の花崎さんのパフォーマンスでは受けました。身体と思考が切り離されている、という感覚は、どこか、人間の思考とは何か、実存とは何か、というようなことをふと考えさせられてしまうような光景でもあるのですが、それが、ネットの、テレコミュニケーションの中で出現しているような感覚です。

 

こうしてみると、路上でのパフォーマンスだけでなく、会議アプリを使った画面でのコミュニケーション自体も、作品の一部(一つの作品)であろうと理解されます。途中、「何か飲み物はありますか」と店内のPCから問われて、ヘッドセット越しに答えのあった飲み物を実際の路上にいる花崎さんに渡したりしていくなど、さらにインターネット内と、路上の現実とが交差していくようなシーンも見られました。自分のパフォーマンスしている身体を、カメラを通して映像としてもリアルタイムで起こす、というのは、花崎さんのこれまでの作品にも見られたものですが、会議アプリで多元的なコミュニケーションができてくると、テレコミュニケーションの中の身体という独自の位相があるようにも感じられたところです。

こうした、携帯やPCでのコミュニケーションはやはりどこか新しい感じ(というか、現在ようやく身近になった)がありますので、そういう意味において、とても新しく、面白く感じた次第です。

 

新しい場所ができて、ようやく新しい動きもあるのかもしれないと思うと、いろいろと大変な昨今ですが、少し楽しく面白いですね。今回は、こんなところでした。