台北の夜と空(続) ディノの家

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ディノの家。手前にジャレッド、奥にディノの姿


 

 さて続きです。8月30日のイベントの翌日、31日にとても不思議なコンサートに行きました。その話を書こうと思います。

 

はじまり

 はじまりは、前回書いた30日のイベントのあとからです。イベントの客席に、台北でツアーをしていたFENのユエン・チーワイとヤンジュンがいました。僕は、FENツアーを見た感想をfbに書いていて、それにヤンジュンがコメントをくれたので、挨拶したのです。このときが、直接話すのは、たぶん初めてでした。

 ヤンジュンは、すでに一部ではよく知られた音楽家です。北京を拠点に、00年代から実験的な音楽に影響を受け、文章だけでなく、自分も音楽家として活躍しています。現在は北京にスペースをもっていて、そこで小規模なサークルとともに定期的に演奏活動をしていたり、世界中を飛び回ったり。大友さんのいるFENのメンバーでもありますし、雑誌『WIRE』に連載をもっていたりします。今回はFENとしてはノーインプットミキサー(ディノと同様といえばそうです)でのノイズが主でしたが、最近は無音を取り入れた作曲活動も旺盛にしています。

 というわけで、簡単な挨拶をしました。挨拶と言ってもfbの画面を見せて「私、私」というだけ。サムズアップをしたり、握手をしたり。けれど大抵は、そこから始まります。また会おうと言って、その場はわかれました。

 それで、前回のイベントを振り返ったりしながらホテルに戻ったわけですが、メッセージが来ていて。見るとヤンジュンから「そういえば言い忘れたけど、明日***や**、***(人名らしいけど漢字表記でわからず)とコンサートをする予定があって。ディノの家なんだけど、来る気はあるか?」というものでした。答えはもちろんイエス。返事をすると、即座に住所が送られてきました。夜8時から。わからなかったら連絡くれ、という具合でした。ディノの家でコンサート、いきなりなので不安半分、期待半分です。

 

お茶

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忠孝復興駅周辺はこんなところ。都会です

 翌日は、ご飯を食べたり散歩したりして、それから花崎さんとお茶をしました。忠孝復興駅で夕方に落ち合い、ちょっと移動。ここはそごうが2店舗あって、巨大です。花崎さんの友人がやっているというレンタルスペースの一階のカフェに行き、コーヒーなど。台湾はタバコは室内では吸えないので、戸外に出て一服。かなり暑くて、最初はぼんやりしていました。前日の復習や、書いたようなシーザーのエピソード、他にも政治情勢の話や文化情勢の話などをしました。じつは前回に書いた、花崎さんが友人とやっていたスペース草御殿は、家賃高騰などから運営継続が困難になり、つい先週、撤収したばかりでした。本当はイベントは御殿でやるつもりだったけど、などの話を聞きました。御殿のあった迪化街は、さいきん急速に観光地化していて、台北も大きく変わりつつあります。(前回のエピソードも、この事情を入れて再読してもらえれば、さらなる感慨もつけ加わるかもしれません)

 その間に、こっそりと今日のイベントの話もしてみました。ディノをイベントに招くほどですから、自宅コンサートに行くというのも無理ではなさそうだし、なにより貴重な機会と思いました。花崎さんはすでにディノの家に行ったこともあるらしく、結局、ディノに連絡を取ってオーケーをもらい、二人で行くことにしました。

 

ディノの家

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ディノの家の門扉。野犬が吠える雑木林の中にあります

 カフェを出て、おみやげを買うという花崎さんは屋台で果物を買います。パイナップルとスイカを切ったセット。おっかなびっくりな旅行客でしかない私はなかなか屋台で買ったりするのは難しい感じでしたが、実際におじさんと交渉して買っているのを見て、これかあとか思っていました。それを持って電車で移動。4つほど先の駅で下車。

 場所は、パッと見は、ごく普通の住宅街です。東京の団地とほぼ変わらない。駅前にはセブンイレブンがあって(僕はおにぎりとコーヒーを、花崎さんはビールを買っていました)、マンションのような家が並びます。その一角に、まだ開発されていない雑草ばかりの空き地のようなところがあり、フェンスで囲まれていました。駐輪場があって、バイクが止まっていました。行ったことのある花崎さんに案内してもらう形で進んでいきます。

 するとディノの家は、どうもその「開発されていない雑草ばかりの空き地」にあるのです。急に雑木林のごとき緑の中を行き、夜道に野犬が2匹、これが獰猛に絶叫しています。犬をなだめつつも、いきなり人外魔境のような世界。そして、その奥に、取り残された昔ながらの古民家が控えています。その一つがディノの家でした。

 そしてその中に、様々な音楽家たちがすでに準備をして控えていました。扉をくぐると、いわば土間で、ベタッと広間まで続いている。椅子もたくさんあちこちにあり、すでに埋まっています。ヤンジュンやチーワイの顔も見えますが、台北ノイズ新世代でFENツアーにも出演したジャレッド・シュー(ベルセルク)や北山Q男、去年のAMFに参加した即興演奏家でもあるファンギィ・リウ、FENで初日に大友さんと演奏した李俊陽、またおそらく欧州からと思う方もいましたし、もちろんディノの姿も見えます。ちなみにジャレッド・シューは20歳にしてメルツバウとスプリットレコードを出した俊英、ファンギィ・リウは高雄を拠点に「耳集」という即興・実験コンサートを定期的に開いています。北山Q男は注目のノイズミュージシャン。などなど、20人前後でしょうか。そのひとたちが、ディノの家にいるのです。

 

コンサート

 空いていた席は一番奥しかなかったので、そこに腰かけました。室内は土間に近く、白い壁が橙色の明かりに照らされて、古風な雰囲気です。いくつか腰ほどの高さの木の棚があり、CDやぬいぐるみなどがあります。勝手知ったる花崎さんは、持ってきたスイカを皆に分けていて、一服しながらペットボトルのお茶などを啜りながら過ごしていました。

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すでにセッティング。奥から、佳机、北山Q男、ファンギィ・リウ

 

 しばらくすると、コンサートが始まります。ディノは入り口近くに控えていて、どうも演奏はしないようです。ヤンジュンが中心になったコンサートという風情でしょうか。奥の机の周りには、ファンギィ・リウや北山Q男が座っていて、ミキサーやヘッドフォンを準備していました。ジャレッドが録音・記録担当らしくマイクとカメラを動かしています。ヤンジュンは、昨夜とはだいぶ印象が違い、シャキシャキと何かの演者のように動き回っています。

 始まったのは、2曲。だいぶ実験音楽的でした。一曲目は、佳机という女性の方が、北山Q男が操作するミキサーからヘッドフォンで聴いて、その音や感情を「descript」する、という曲です。静かな室内に、女性の声が断続的にゆったりと響きます(僕はこれに、感想として「secret music」という名前をつけました。つまりQ男が出している音は、私たちには聞こえないのです)。15分程度の曲でした。

 二曲めは、よりパーカッシブな曲でした。ファンギィ・リウが加わって、木の棚にあったピンや灰皿を弾いたりして音を出していきます。おそらく即興でしょうか。北山Q男は、空の酒瓶をぶつけてガシャンドシャンと言わせます。なかなか荒々しく硬質な音で良いなと思っていたら、ヤンジュンが登場して、まずメンソレータムを、立ってカメラを持っていたジャレッドの顔面に塗りたくりました(ジャレッドのうめき声)。次に、今度は僕の方にやってきて、僕の両の耳たぶにメンソレータムを塗ります(とくに反応なし)。

 やれやれと思って煙草に火をつけると、いつの間にか移動したヤンジュンがアルミホイルを持っており、座っていた観客の顔面にぐるぐると巻きつけていました。次々に客の頭部はアルミホイルで覆われます。彼らが身じろぎするごとにガサガサと音がしていく。全員終わったと思ったら、ヤンジュンがまたこっちに来て、耳元でアルミホイルをずっと揺らしていました(意味は不明)。その間に、ファンギィ・リウが、ハンマーで土片か何かを砕き始めます。観客が反り返り、アルミが音を立て、ヤンジュンはまたそちらへ飛んで行きました。

おおむね、そのような具合で、15分程度でしょうか、静寂ながら、粗暴で観客も巻き込んだ世界が過ぎて行きました(これには感想として「music for (ear of) audiences」というタイトルをつけてみました。観客の耳が、アルミなりメンソレータムなりで囲われると同時に、音を出すものに変化するからです)。

*そういえば、銀のアルミホイルで括られた観客たちの顔を見て、ウォーホルの銀の雲を思い出したことをメモしておきます。ただこれは私見ですが。なかなか美しかったです。

*このイベントはジャレッド・シューが記録してfbにアップしています。こちら→ 

www.facebook.com

 

 そのあと、ヤンジュンのトークがあり、あとはのんびりと打ち上げです。部屋の一角にあるノートPCとスピーカーのセットから、BGMが流れて、皆が思い思いにのんびりしていました。家の外で話をしている人もいます。僕はしばらく煙草を吸って、それから外へ出て、扉近くにいたヤンジュンと少しだけ話をしました。ヴァンデルヴァイザーのことや、最近の作品の話。沈黙についてどう思うかと問うと、沈黙はたいてい物象化されている(ヤンジュンはobjectになっている、と言っていました。それはフェティッシュということかというと、キャピタリズム的なものだと言われたので、おそらく物象化のことだと思います)、そうした沈黙には興味はないんだ、ただ音楽を通じてどこまでいけるか試しているのが面白い、と言っていました。ヴァンデルヴァイザーではマンフレッド・ベルダーが天才、あと、宇波拓が俺の音楽の最大の理解者だ、と言っていたことも印象的です。去年、マイケル・ピサロの文章を中国語にしたんだと、楽しくも苦しそうに語っていました。CDを2枚買ったら、おまけで一枚。NYでやったら客がゼロで、ノイズを録音したんだ、タイトルは「with no audience」だ、君はノイズ好きみたいだからこれ足すよハハハ。と言って、一枚おまけにもらいました。

 ヤンジュン本人に触れ、またその作品を直接に見たのはたぶん初めてでしたが、見た目にユーモアがあり、本人も演者のようにコミカルですが、思ったよりだいぶ複雑な作品を作るのだなという印象を持ちました。上記の会話での内容もそうですが、見えているものよりはるかに多岐にわたるコンセプトをレイヤーした作品を作り出しているようです。あえて言えば、象徴的な意味や観客、美的価値といったものの文脈を意図的に表面化しながら、なお言語化できない隙間を(いくつもの表面化されたコンテキストのあいだでねじれるように)表出させようとしている印象を持ちました。優れた作曲家であるように思います。詩的であったり、中華風であったり、ノイズであったりと粗暴な表現を用いつつ、問題意識と構造が非常に現代的なパフォーマンスで、今後も活躍が注目です。

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演奏合間の風景。膝をついているのがヤンジュン。花崎さんはスイカを食べてる。全体にリラックスした雰囲気

*やや批評的な言い方ですが、ヤンジュンのパフォーマンスには「見せつつ隠す」「隠すことで見せる」という手法があちこちに見られ、それが極めて魅惑的に思えました。secret musicもそうですし、アルミで隠す=アルミで隠された客を見せる、というのもそうです。隠す=見せるというのは両義的な手法として一般的ですが、それがより強く「何か秘めたものを持っている」という人間一般の普遍的な問題にまで発展しそうな気配があり、そこに奇妙にも深い作品の感想を持ったことも付記しておきます。これが、現代中国の監視社会における(押し隠す)個人、という問題につながっているのか、より普遍的に、誰もがそれぞれに秘めたものを持っている、というようなテーマに至るのかは、今はちょっとわかりませんでした。ただとても魅力的な「秘密」があったことは、たしかだと思います。

 

 

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夜10時すぎ。机に乗っているのが強いお酒。右端にディノの手


 外に戻ると、花崎さんが酒瓶を片手に喋っていました。58度のお酒ということで、一口もらいます。ウォッカズブロッカのような美味しいけれど熱いものがありました。なんとなく室内に戻ると、ディノが奥に腰掛け、皆で囲んで彼の話を聞いています。台湾語なので、ちんぷんかんぷんでした。同じように腰かけて、リキュール用の杯に入れた火酒を啜りながら、その光景を眺めました。だんだんと人が去り、それでも10人ぐらいは残っています。ジャレッドやリウや、いつもディノの写真を撮っている米拉さんが、BGMを選んでいて、REMやテクノをぼんやり聞いていました。言葉はわかりませんが、皆楽しそうです。

 気づくと、11時になっていました。杯は空です。帰り道がわからないので、花崎さんに声をかけて、皆に別れを告げて、そこを出ました。犬は吠えていなかったように思います。

 

 

 

 

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