不完全な天使たちはいつも遅刻してやってくる:2020年3月4月の音楽の話②

 

インターネット・アートの代表的な作品の一つに、マイケル・ウルフ(Michael Wolf)の『A Series of Unfortunate Events』(不幸な出来事シリーズ、2010年)』というものがある。グーグル・ストリートビューのなかに映り込んだ、さまざまな不思議な場面(複数人が路上に寝ていたり、盗難事件に及ぼうとしていたり、車が炎上していたりする)を撮影した作品である。これらは画面をキャプチャするのではなくカメラで撮影されており(ウルフは写真家で、国際的な写真コンテストにこの作品を出して話題をさらった)、インターネットをいわば客体的な、ものとして扱っているところから、ポスト・インターネット・アートの一つともされる。

中でも個人的に気に入っているのは、一羽の鳥が、まっすぐにこちらを向いて飛んでいるところである。このシリーズには鳩や犬といった動物たちが画面内で暴れている画像も多く含まれているが、この鳥(カモメだろうか)はむしろ大きく取り上げられ、焦点もピタリとあって、こちらに飛んでくる。残念なことにおそらく数秒後には鳥はカメラに直撃して倒れているのだろうが、まさにその寸前の、意気揚々と滑空する姿がそのまま収められ/その時間で停止しているわけだ。そこには、ちょっとどきどきするスリルと高揚感がともなっている。

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『A Series of Unfortunate Events』(2010)の一枚

この作品は、「グーグルによって解体された時間と空間」を収めようとしたものであるという。いいかえれば、インターネット内にまるで現実であるかのようにおさめられている地図が、実際には現実を固定・解体・再編集したものであることを示しているということになるだろう。もっといいかえれば、これらは、映り込んでしまったバグであって、それを写真に収めることで、むしろそうしたバグを楽しんでみようとする意気が感じられる。

こうした、インターネットと現実の間のバグを、作品として取り込んだり、取り上げたりしている作品は、他にも多くある。例えば日本でも活躍しているエキソニモの作品のいくつかは、ネット内の座標をそのままキャンバスに写してピン留めしたりするものなど、ネット内の空間を現実に持ってきた時のズレが扱われている。

インターネット・アートを体験することは、こうしたネット内にある空間と、現実の空間の落差を楽しむことでもある。2010年代にはインターネットで、まるで縦横無尽に、無時間的にコミュニケーションが可能になる一方で、そこに潜むバグと向き合い、現実とは違う世界との接触体験を、いわば異化のようにして楽しむアートが出てきていた。それはまた、インターネットの世界を、なめらかな情報世界としてではなく、別の仕方で楽しむということなのだろう。

 

そして、コロナ禍でネットの交流の世界に踏み入れた時、さっそくそうした事柄に直面した。それは、レイテンシー(遅延)ないしタイムラグの問題である。こうした事柄についてはだいぶ一般化されてきているけれど、少し触れておこう。

コロナ禍で、ドイツの現代音楽グループに足を踏み入れた。インターネットを通じてである。私たちは、すでに3月には始まっていた北京の音楽家たちの活動をにらみながら、自分たちもネットで活動をしようと考えていた。ドイツも日本も、ロックダウンと自粛で1日の大半は家にいることになるのだから、何かしようというわけだ。グループはパジャマオペラと題されて、この時はまだズームが広まっておらず、スカイプで活動を進めることとした。

実際の主要メンバーは5人か6人。それぞれが作品を持ち寄って、何かしようということになった。いわばネット越しの合奏である。出自は欧州やアジアで、持っている技術もばらばら。全員が、作曲作品だけでなく、即興にも関心を持っていて、なかなか面白いことになりそうだった。とにかく、何かやらねばという気運だけはあった。

 

そこで待っていたのが、レイテンシーの問題だった。スカイプなので、音質の問題などは致し方なかったが、こちらは少し考える必要があった。

レイテンシーとは、通信上の遅延、あるいはタイムラグのことだ。これは通信において、ほぼ不可避である。どんなに高速であっても、実際は、物質的に情報は伝達されているので、地球上を周回するあいだの時間が必要になる。また、送られた情報を端末が処理するまでの時間もかかるだろう。これは物理的な原理なので、どうしても避けられず、送り手が送信してから受け手が情報を受け取るまでに、ほんのわずかな遅れが生じるのである。

こうした遅延は、普通のコミュニケーションの際にはほとんど気にならない(どうせ距離があるしメディアを通しているのだから仕方ない、という意識が働いているのだと思うが、リモート会議をしている時に自分の声が返ってくるまでのスパンは、ごく一般に感じられるものだろうと思う)。

しかし、音楽では大事だ。これは、リズムに関わる。音楽の場合、音程の上下や、音の強さ、長さなど共に、リズムは重要な要素だ。テンポと音符によって、どのタイミングで鳴らすかはそれぞれ異なるとしても、ある一定のリズムをとったり、集団でリズムを鳴らしたりすることはとても重要で、音楽の魅力や快楽の一つでさえある。裏を返せば、ほんの少しでもリズムがずれると、それは違和感や、プロの目では醜さに変わるだろう。

おまけに、案外と音楽のリズムは細かい。実際、口で「あ」というだけで、その時間は1秒をかなり細く割ったものであることが分かると思う。短い音などになれば0.1秒未満の長さになり、その、ほんのわずかなずれが音楽を台無しにしてしまう。

そして、インターネット上のレイテンシーは、この許容範囲を超えるレベルで発生する。ごく普通に0.5から1秒の遅延は起こりうるし、互いに会議ソフトでやりとりする場合は3秒から4秒ちかくの遅れが生じる。そうすると、ギターのフレーズと、バスドラムの気持ちいい調和は、ずれてしまう。サックスの高速フレーズがトランペットと合わせて疾走しようとしても、互い違いになってしまう。意図した形でギグができることは、かなり困難なのだった。

インターネットで世界中が繋がっても、そこにはなおも物理的な距離が作用する。前回に書いたように、私たちの通信技術が天使を目指しているとすれば、やはり私たちは天使のなりそこないであって、その歌声はテレパシーではなくて、物理の壁を超えることはできないのだ。

 

せっかく面子が揃って、舞台が揃っても、演奏ができない。どれほどのテクニックや音楽知識があっても、遠隔の世界は、また別世界なのだ。ふたたび、何もかもが白紙に還っていくような状況に迫られた。

ただし、今回は、これまでの知識を動員して、手がかりを見つけた。互いがずれたままに共存できるような作曲方法はないのだろうか。リズムがぶつかり合って登りつめていくような音楽とは違うモデルはないだろうか。いや、そうした作曲家はすでにいる。

 

ジョン・ケージは、『4分33秒』で知られるが、実際はそれ以外にもたくさんの楽曲を作っている音楽家である。そもそもはナチスユダヤ迫害を避けてアメリカに亡命してきたシェーンベルクを師として、作曲を学んでいたのであり、その意味では正統的な音楽の学習をしている。やがて開花する、すべての音程・強度・長短を八卦で確定する「チャンス・オペレーション」も、師が開発した十二音技法を過激化したものに見えなくもない(ただし師が丁寧に和声をつけていたのに対し、和声については異なる感覚を持っていたように思われる)。ケージはこの卦によってすべての単位を策定するやり方を終生手放しておらず、4分33秒の異様な形式も、実際にはそうした極端な決定法から出てきたものの一つのように思われる。

そのケージが1980年代から90年代に集中的に創作していたものに、「ナンバー・ピース」というものがある。「ナンバー」とは、何人で楽器を演奏するかの数が示されたもので、例えば2人で演奏する曲の4番目の作品は「2−4」という表記がされるシリーズだった。これで「1」から「108」までを作っている。

この曲群の特徴は、その中身が、小さなフレーズである「ブラケット」に分けられていて、しかもどのタイミングでフレーズを演奏するかが、演奏者にゆだねられていることだった。厳密には「◯秒から◯秒の間に、このフレーズを開始すること」という決まりごとがあるのだが、それでもそれぞれのフレーズを一斉に、合わせて鳴らすのではなくて、ずれを孕む形で演奏されることが目指されていた。そうやって演奏されたときに、偶然に出現する和音を、ケージはアクシデンタルなハーモニーといって、喜んでいたという。(師シェーンベルクから、独自の和声感覚が希薄であることを指摘されており、またそのことを繰り返し自ら語っていた、その課題を、ついにここで乗り越えた、ということなのかもしれない)

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タイム・ブラケットの例。『Five』から

 

 

この、タイム・ブラケットの方式を、インターネットでのギグに当てはめてみることを考えた。ここでの自由度は、演奏者の自由度でもあるし、インターネットが生み出すレイテンシーでもある。私たちの声は、常に遅れて相手にとどくが、その遅れまでを許容して、お互いが長いフレーズをゆったりと演奏してみればいい。そこでは、遅れることを楽しむのが肝要。レイテンシーが生み出す時間の幅は、予期しないハーモニーをネット越しに出現させるはずだからだ。

こうした提案は、現代音楽グループに即座に了解された。一度、弦楽器同士による実演もやってみた。そこでは、スカイプの作り出すノイズまみれの中、レイテンシーは派手に発生して2秒から8秒近くの遅れが生まれた。おまけにマイクが互いの音を拾ったフィードバックまで発生して、全員が演奏を終えても音は続いた。その十数秒の間、ネットを経由して遅れてやってきた私たちの音たちは、にぎやかなカオスとハーモニーを奏でていたのだった。