台北の夜と空

f:id:ohwaku:20190902202839j:plain


 8月28日から9月1日まで、台北に行ってきました。FENのツアー、ヤンジュンのプライベートなコンサートなどもあったのですが、ここでは30日のイベントについて、書いておこうと思います。

「Improvisation Performance Night vol.4」という企画。小さな貸しスタジオで行われました。主宰は花崎草(かや、と読むそうです)さんという、日本から台北に移動して活動をされている方です。今の専門はパフォーマンス・アート、なのでしょうか。そして参加は大友さんに加えて、台北のノイズシーンの中心ディノ、ギターのJAシーザー・リン、メディアアートからツ・ニ。すごいメンバーが参加しています。

 このイベントを知ったのは、花崎さんをとおしてでした。花崎さんは芸大で活動しながら社会運動にコミットしたり、そのあとロンドンに行ったりしたあと、台北にレジデンスをしながら、多目的な巨大スペース草御殿を迪化街に立ち上げ、芸大出身のノイズ・パフォーマーのベティアップルや酸屋というオルタナティブなコレクティブと協働するなど、ジャンル混淆のいちじるしい台湾のアート界での活動を展開(と理解)していました。

 とはいえ、個人的にはそこが入り口ではなく、前回、旅行した時に、草御殿がやっていた居住スペースがあって、そこの予約のためにコンタクトを取ったのが始まりです。上記の活動は完全に知らず、むしろマネージャーのような方だと思っていました。ともあれ、そういう具合で6月ぐらいに、連絡があって、こういう企画があると知った次第です。

 会場は、広さは40人も入れば立ち見で埋まってしまうぐらいの、貸しスタジオでしょうか。壁にはクラシックの指揮者の写真があったりして、音楽用のスタジオなんだなとわかりました。どことなくその日のそこは、なぜか実験をするような雰囲気があって、お客さんも静か目でゆったりしています。椅子が出されて、すぐ目の前、というほどではありませんが、かなり近い距離でパフォーマンスを見ることになりました。お値段は400台湾ドル、日本円だと1200円ぐらいでしょうか。

 

f:id:ohwaku:20190902201902j:plain

会場入り口で、JAシーザー・リン

f:id:ohwaku:20190902202015j:plain

スタジオというかんじでした


 まとめからいうと、各パフォーマーが自由に演奏やパフォーマンスを発揮する、素晴らしい内容でした。

 最初のディノのソロは、ノーインプット・ミキシングボードを使います。これは即興では今や有名となった(授業でやったりするようです)楽器ですが、ディノはこれを00年代初頭から爆音のノイズのために使っていたとされます。実際、はじまるや、激しく甲高いノイズと低音、うねりが4層ほど自由に動き回って展開していく、攻撃さと繊細さと複雑さをあわせもった演奏でした。ノイズ第二世代と言われるのも納得の爆音で〆。最高だったと思います。

 ついで花崎さんとシーザー、たくさんの小銭を鍋に入れ、床に撒いたり投げたり食べたり、鼻歌を歌ったりしながら会場内を放浪する花崎さんに、杭を打つようなノイズギターで現実を歪めるシーザー。そこに光を使ったライブ・インスタレーションというような装置でツ・ニが入ります。異邦人には、台北のシーンの奥の深さを堪能できるという充実した時間でした。

 

f:id:ohwaku:20190902202145j:plain

貸しスタジオは現実を離れた独自の世界のように

 

後半は、大友さんのソロ。いわゆるノイズのギター演奏で、床は振動し、観客は耳をふさぎます。まるで次々に身体化した様々の音楽をノイズに溶かしていくような演奏から、シーザーが突然にギターを床に置いてマイクスタンドで弦を踏みつけ、フィードバックで介入、さらに軋むようなメロディを弾き始めて音の中にすべてが消えていくようでした。

 

最後は、大友さんとディノが、ノイズで向かい合います。大友さんはすでに加速度がついていたスピードで、どんどん色々な音楽を、けれどノイズに変えていくように進めていく。一方でディノは超高音から始めてちょっと戸惑っているように見えたのは最初だけ、次第に層が厚みを増して自由に、けれど制御されて動き始め、途中からコミュニケーションが成立しているかのような光景が広がりました。ノイズでコミュニケーション? いや、見ながら思い出していたのは、解体的交感、という言葉でした。この言葉は色々と文脈がありますが、これまでの様々のものが解体され、表現さえも解体されていくような中で交感ないし交歓がおこなわれている、これはノイズの表現だけに可能なものかもしれないし、あるいはノイズだけれども即興でもある二人にしか可能でないのかもしれない。言葉もメッセージもノイズに溶けて、けれどそこにさえ個性のある二人の交感がそこにあったように思いました。

 

そのような感じで、それぞれの参加者が、それぞれの持っているものを自由に展開して、それを目の当たりにできたという、とても充実した企画だったと思います。

 

 

注1

最後の演奏は、いろいろと感じ入るところがありました。特にここ最近、ノイズの意義をあらためて表明している大友さんの最新のノイズ演奏である(たぶん日本では、まだやっていないのではないでしょうか。また日本だとどうしても大きいスペースになりがちで、場所のサイズも観客と近く、興味深かったと思います)という点でもそうですし、またディノとのパフォーマンスはさらに素晴らしくて、台湾に来てよかったと思いました。

ちなみに理解しているところでは、台湾では90年代の民主化(それまで軍事体制が続いていました)で急速に文化がかわり、そのときに最前衛のものとして「ノイズ」が導入され、独自の解釈とともに展開していたとされます(日本の60年代のフリージャズに似た性格であろうと理解しています)。そのさい、ただうるさいというだけでなく、よりパフォーマンスや伝統芸能の荒々しさも解釈で加えられた独自のものになっており、そこから現在ではメディアアートやパフォーマンスアートと交差する新世代も登場しているようです。この辺りが大変に興味ふかく、前回に触れたシェリル・チャンもそうですし、ツ・ニもその一人でしょう。

ちなみにノイズ第一世代であり、台湾のノイズをこのように展開させた人物の一人はリン・チーウェイで、彼はこの企画の2日前のFENツアーに顔を見せ、大友さんと20数年ぶりに再会したところを目撃しました。伝説的な人物で感動です。

 

f:id:ohwaku:20190902202254j:plain

リンさんと大友さん、20数年ぶりの再会

注2

ここで出てきてる、ギタリストのJAシーザー・リンは、いまの台北ノイズシーンで活躍している人物で、とくに2年前ぐらいから録音機器を導入し、様々なレコーディングを行ってシーンを支えてきました。ディノの先行一車からのアルバムなどもそうです。

一方で、セント・スロース・マシーンというプログレバンドを組み、最近は、ついに自身もノイズ=インプロの技法に手をつけ始めて、いくつかライブをしています。2週間くらい前には、ようやくソロの演奏を行い、ハードなフィードバックからメロディを打ち出していく重く悲しげな演奏を行って、自分の個性を見出し始めています。

その彼は、実は仕事の都合で、この9月からマレーシアに移住することになっていました。つまり、この企画は、彼にとっての台北で最後のライブになります。もちろん、このことは僕は知っていて、だからこそ見に行ったというところもあるわけですが、長らく大友さんのノイズギターに憧れ、影響を受け、それでも最近は自分の技法を探り始めた彼が、けれどここ数日のFENでのライブでは今ひとつの感触だったことも知っていました。

ですので、大友さんが、彼の眼の前で爆音ノイズをかなで始めた瞬間、シーザーがハッとした表情で顔を上げ、そのまま固まっていた姿を見て、それを忘れることができません。そしてそこに自らも参加し、荒々しい響きの音楽を始めた時、ある感銘と、ついに一人の個性ある音楽家が生まれたのだという奇妙な確信をもちました。今後の活躍が楽しみです。

  

注3

この企画のお客さんの中には、FENのユエン・チーワイとヤンジュンがいました。ヤンジュンからは、前日のFENについてfbで書いたものにコメントをもらっていたので、初めてここで挨拶ができました。そうしたら、その夜に連絡が来て、明日ライブがあるのだが来ないかと言われました。場所はディノの家。そして翌日、花崎さんとお茶をしたあと、一緒にディノの家でライブを聞きましたが、その話はまた後日。

  

注4

ツイッターで、同じくこの企画を見ていた方から、このときのシーザーの演奏についての指摘がありました。それは、彼が弾いていたメロディが、「見上げてごらん、夜の星を」だったのではないか、グランド・ゼロの「Plays Standards」ではないか、というご指摘がありました。

見上げてごらん夜の星を」はご存じのとおり1963年、永六輔作詞、いずみたく作曲で、坂本九が歌った名曲ですが、2000年の大友さんがやっていたバンドGround Zero のアルバム「plays standards 」がカバー、バンド解散コンサート(アルバム「融解ギグ」)でも演奏され、最近もあまちゃんコンサートで薬師丸ひろ子さんが歌われています。シーザーが反応しているのはこの流れ(とくにGround Zeroのカバー)で、僕自身はシーザーがノイズ演奏を始めた時点でじつはひそかに涙が出そうになっており、うつろにメロディをおさえていましたが、確かにそうであったように思いました。

これは翌日お会いした花崎さんと話しながら、花崎さんがその場でシーザーに連絡をとり確認しました。彼からは、このメロディは、すでに花崎さんとのパフォーマンスでも弾いており(!)、それは彼自身にとってこの(危機の)時代に必要なメッセージであり、また、ながらく影響を受けてきた大友さんへの感謝のメッセージでもあったということが言われていました。あらためて、彼が優れた音楽家であることがわかるメッセージであろうかとおもいます。

しかし、それだけではありませんでした。そのときは、なんとなく納得して、イベントを振り返ったりしていたのですが、さらにこの夜に、シーザー本人がfbにこのことを投稿し、真摯で率直なメッセージに、静かに感動しました。さらに、ここに寄せた花崎さんのコメントでは、彼女自身にとってこの曲のもつ別の意味が書かれていました。じつは大学院の修士課程で311を体験し、アクティビズムに入り込んだり、そのイベントで大友さんを招いたり、そしてただ賛成と反対だけを主張するメッセージに疑問を持ちながら色々な人と交流していく道筋を模索したり。大友さんは盆踊りなどへ行き、花崎さんはそれを横目に台北で御殿を立ち上げ、今に至る。そのいくつかの道筋の原点にあるのは震災であり、そのときによく流れていたのが「見上げてごらん夜の星を」なのだ、と。だからこの曲は、自分の原点を思い起こさせるものなのだと。いくつもの、からまった糸が、この一つのメロディから解きほぐされていくような想いで、そのコメントを読みました。

 

このイベントが、どのような意味があったのか、成功だったのか失敗だったのかは僕にはわかりません。けれど、その中に、なんといくつもの道が、交わり、こんがらがって、ときほぐされたのか。それを見て、そこに立ち会うことができて、とても幸運な思いです。あえて言えば、大きな歴史とは違う、個人的な歴史と思いが結びついて花開いたような。とても小さな場所で、小さな出来事ですが、このような意味で、この夜はとても貴重な、とても稀有な日であり、そのように記憶されることでしょう。

 

 

 

 

 

**