AIは電気羊を想像するのか

少し前から、AIとアートの関係みたいのが報じられていて、そのつど検索するのが面倒なので、個人的に必読記事をまとめておきます。

 

まず最も重要と思われるのは、こちら。2016年に「レンブラント(画家の)の新作を、AIが作成した」というニュースがありました。レンブラントは17世紀の画家で、とりわけ薄暗い空気の中の自画像で有名だと思います。イギリスなどでも、神のように扱われています。で、その新作ができてしまった。過去のレンブラントの作品群を分析させて、そこから新作を作り出したと言われています。通称「デジタル・レンブラント」と呼ばれていました。

https://www.theguardian.com/artanddesign/jonathanjonesblog/2016/apr/06/digital-rembrandt-mock-art-fools

 

それについて、こちらの記事は、かなり批判的な考察を寄せています。なぜかというと、「レンブラントは、作品ごとに、新しい創造性を発揮して進歩していた。なので、もし彼の新作が出れば、それは(レンブラントの)既存の作品に似ているはずがない」ということ。

これは、事態の一つの側面を言い当てているように思います。つまり、過去の作品を集積して、その(ありえた)パターンの一つとして、AI新作がある。しかしそれは、レンブラントがもう少し生きていたら描いたであろう作品とは、似ていないのです。あくまで過去のパターンでしかない。

もっと言えば、ここでは(というか、この議論では)、芸術における創造性が問われているわけですね。芸術家の作る新作は、過去の作品の集積の中から導かれるのか。あるいは、何か予期せぬジャンプを伴うのか。いいかえれば、芸術における創造とは、多様な系を生み出す力にあるのか、予期せぬジャンプを生み出す力にあるのか。AIのパターン認識から作られる作品は、いわば前者(名作のシステムを読み取って、作り変えるという点で)というわけでしょう。それに対して、この記事は批判しているわけです。

 

個人的にはこの記事の批判はかなり本質を突いていると思いました。今でも、AI芸術の問題の時は、この記事を再読します。

とはいえ、大事な点はもう一つあります。それは商業の問題というか、売れるか売れないかですね。 つまり、この記事どおりであるなら、AIの作る作品は「芸術」ではないわけです。しかし、何が芸術作品であるか否かを判断するのは、批評家(だけ)ではありません。マーケットというか市場取引で、それが「芸術作品として価値がある」とされれば、むしろそれでオーケーです。

そして、現在に至る過程は、(批評家にとっては)残念ながら、マーケットの力の方が強いようです。AIが作った新作が高値で取引されたというニュースが入ってきたのは2018年です。

https://www.afpbb.com/articles/-/3194763

 こうなると、AIが作る作品は、おそらく「芸術」になりつつあります。それは市場の力によっている。

ここには、奇妙にも(冒頭の記事が指摘していたのとは)ちがう「芸術」の本質が見えるようでもあります。

 

あるいは最近ではもっと新しいタイプの作品も出てきています。それは、AI支援によるリアルタイムパフォーマンスのようなマルチメディア作品です。

ビョークマイクロソフトが、ホテルに設置したインスタレーションのような作品は、AI支援によってそのつど変化していくそうです。こちらは2020年1月27日の記事(つまり3日前です)

https://japan.cnet.com/article/35148347/

そこには、作家がほんの少し顔を出しているようですが、パターンの発展によって作品が生成されているようです。AI「支援」というのが面白いところで、もともとの作品を、リアルタイムで変化させていくのにAIを使っている。こうした作品が「作品」として成立すれば、もっとやってみたいという人たちが出てくるのは、至極当然のように思います。

 

さて、これらの作品は、芸術を、あるいは芸術家の定義を、更新していくのでしょうか。

 

ということで、個人的な関心は、このあたりです。また新しい論点が加わったら、記事を書きます。

ちなみに、最近のニュース。AIダリ。

https://finders.me/articles.php?id=685