北京ノーウェーブ散策

前回のブログ記事のあと、斎藤聡さんの紹介で、火曜日に北京からの二人とお昼を一緒にしました。若干、北京のインディペンデント/アンダーグラウンドなシーンの話もしたので、メモ代わりに。

待ち合わせは神保町の「いもや」でした。11時半前で、行く気満々だったのですが、入り口には、本日休業の張り紙が。「はちまき」に移動することになりました。コンもウェンボーも、すでに何度も「いもや」に来たことがあって、ファンだそうです。

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テーブル席に着席。僕だけ天丼で、3人は天ぷら定食でした。4人で和やかに、即興と作曲の現場の話などを。ウェンボーは、即興と作曲の分かれ目がないフタリの音楽に、とても興味がある、と言っていました。

 

そのあと、喫茶店に移動。なんだか色んな話をしましたが、中国にアンダーグラウンド流通で、阿部薫についての間章の文章の、翻訳(書籍)があるとのこと。ザオコンはこれを持っていて、それでカオル・アベ・ノーフューチャーのバンド名になっていったようです。日本勢は驚き。

あと、北京で、年一回ぐらい、地下通路で勝手にライブをするという企画をやっているようです。大友さんも参加したらしい。これも驚き。

彼らの来歴についてもちょこちょこ聞きました。ウェンボーは2009年くらいから、バンドとコンサート企画をやっているようです。影響を受けたのは、クラウトロック(カンだと言っていました)、マークEスミス(ザ・フォール。ポストパンクと言われる音楽です)、それにブラックフラッグ(ハードコアパンクの初期のバンドで有名)。なるほど、あとで聞き直しましたが、マークEスミスの影響は、カオルアベノーフューチャーにも反映しているように思います。インターネットで、ダウンロードしまくったと言っていて、情熱的に語っていました。

それで、最初は演奏場所のオーナーに言われてコンサート企画を始め、自分のバンドもやったりしたらしいのですが、場所が二度、閉鎖されるというのを経験して、コンサート企画をするのに疲れたらしいです。それで、その時間と労力をレーベルに向けて始めたのが、ズーミン・ナイトだということ。2014−15年あたりですね。なので、ズーミン・ナイト自体は2009年からあると言っていました。なるほどと。

 

感想ですが、カンの再評価は、世界的に10年前ぐらいから始まっていて、特にここ数年顕著なような気がしますが、つまりその動向の中に、彼らは普通にいるわけですね。ポストパンクなども、最近は言葉自体をあちこちで見かけるようになりました。2009年にそれに反応するのはかなり鋭いセンスかもしれませんが、改めてわかるのは、対話不可能などではなくて、むしろ共通言語を持っているということ。

一方で、ハードコアに熱中したり、その好みがかなりロック寄りであることは、話していてちょっと驚きでした。彼らを見たのは、最初はフタリで、作曲やサウンドアート寄りの即興だったので、静寂とか現代音楽が好みと思っていましたが、どうもだいぶ違うようです。作曲作品でもしばしば荒々しい響きがあるのは、そうした志向もあるのかもしれません。彼らの中では、もっとロック寄りの音楽として響いているのかも、と少し思いました。

中国での音楽流通についても話が出ましたが、CDはライセンス制で事前にチェックがあるようです。ズーミンナイトはカセットレーベルなんですね。あと、歌詞がないものや、政治的でなくとも理解のしがたいものは「理解できない」という判断がされるそうです。この辺は、ちょっとしたジョークで笑いました。

 

お茶をしたあとは、斎藤さんと別れて、僕は彼らの散歩に付いて行きました。まずコンが、北野武のポスターが欲しいというので、古本屋街の専門店で発掘。ポスターは友人へのお土産だということでしたが、探し終わったあと今度は「伊丹十三のも」というのでお店の人にお願いして、パンフレットを発掘。じつは二人は、伊丹十三の大ファンらしく、店を出たあと早速に袋を破り、取り出して2人で興奮した声をあげていました。

そのあとは、秋葉原までのんびり散歩。東京に来たら必ずハードオフに行くというので、付いてきました。店舗前で、コンだけまんだらけに突入していっていて、とても楽しそうです(収穫は、2日前に行った中野の方がすごかったと言っていました)。ハードオフであれこれ物色しているうちに、なんとなくお時間となりました。

と言う具合です。北京に来なよ、と言われました。ちょっと考えてみようかな、という感じです。