2018、台北、夏(続)

宿泊所でフェイスブックを見ていたら、参加者の一人が(たぶん勝手に)中継しているところを見つけた。2階からのようだ。思わず見ていたら、声と電子音、伝統楽器の集団アンサンブルが生まれている。成功しているようだ。

ほっとした(シェリルさんもいるので)のは良いが、土砂降りで何もかもずぶ濡れの状態をなんとかしなければと夜が過ぎる。

 

2日目。食事は公館のファーストフード。ハンバーガーとポテトが美味しい。そのまま、蒋介石記念像のある中正記念堂に行く。白亜の広大な敷地に、奥に多角形の幾何学的な建物があり。階段を登っていく。これはまさにバロックの美学と思っていると、中に巨大な蒋介石像。中も幾何学的で、ソ連時代のアバンギャルド建築を思い出すほどの権力と美学の結合を見た。

出ると、しばし歩くと今度は228記念公園。ここには、蒋介石以後の政府が行った市民の弾圧と虐殺の事件と被害者に捧げられた資料館とモニュメントがある。資料館を眺め、ため息ののち、モニュメントを見ると幾何学的で美しい。こちらには、広島記念公園の幾何学性がある。広島よりも圧縮されているような印象さえ受ける。

この二つの施設を見ると、台湾の歴史が動いている、あるいはここに台湾の今も示されているように思う。僕は日本出身なので帝国主義を思いがちだ。だが、むしろここ、この二つを結ぶ線の上に、今の台湾があるように思われた。国家としてのアイデンティティと、その暴力を乗り越えるための先進性へのベクトル。ため息をつく。

 

けっこうすでに疲れているが、ふたたび中山堂へ行った。まず近くの繁華街へ。驚く。

これまで見ていた台北は、空港から公館、トレジャーヒルが中心で、どことなく日本でいう大宮のような雰囲気ばかりだった。だからどこもかしこもそうかなと思っていたのだが、ここは原宿である。と言うか原宿と新宿と渋谷が合体していて、顔を向ける角度でそのどれかに入れ替わるような錯覚さえ覚えた。東京じゃん、これ。と言うか、東京はなんなのか?とチラリと思う。甘口にアレンジされた日本風ラーメンを食べた。

 

中山堂に行くと、またシェリルさんに会う。それに、lololol発起人、シャリンにも会った。丸メガネで長身。すでにバンコクビエンナーレのパビリオン企画フューチャータオは始まっていたし、僕も参加していた。「いつもネットでやりとりしているから不思議だ」と言われる。それは、僕もだね。と答える。

それから、ダワンさんと会場内で。会場内は観客が歩き回るタイプだったので、演奏までずっとダワンさんとしゃべる。今の関心、今日の関心。彼は本気だった。半ば観光気分だった僕は、その会話を通じて、真剣に聞くことにした。耳を澄ます必要がある。懐かしい感覚。空間内の音に焦点を当てる。演奏者を見るのではない、音と空中の音の動きを聴く。耳を澄ます。

 

イベントについては、フェイスブックに書いた(2018年9月10日の投稿)。電子音とノイズと伝統楽器が繰り広げる、圧倒的音の塊。まるで頭上から雷雲が落ちてきて音楽と絡み合うような異様な音。

終わった後、観客の多くが上気しているように見えた。たぶん成功なのだろう。彼らから、まるでこれがいつもの演奏のような感じの意見を聞いたが、そうではないことを僕は知っている。

台湾については、すでに部分的ながら知っていた。ここでは90年代まで軍政があり、以降の民主化の時期に一気に新しい文化が入ってきて、ロックとともに、その先端がノイズだった。いいかえれば、1960年代以降のフリーインプロの文化を、そのジャンルとしては通り過ぎる形で、いきなりノイズから入っていったのだ。その特殊性と(だが、それはどの観点からの特殊性なのか?)弱さとは言えないある種の強さ、あるいは独自さを感じる。ノイズの中にインプロがあるのは自明のことであり、そう、だとすれば、それはどういうことだろうか

 

すでにヘロヘロだったので、シェリルさんやシャリンとの食事と散歩の話は次にするということで、トレジャーヒルに戻った。コンビニで買った夜食を取りながら、感想を一気に書く。デビッド・トゥープはじめ、即座にリアクションがあった。それらに答えながら、上に書いた問題について、まだまだ考えることはあるなと思った。(続