台北備忘録

4月2日から5日まで、台北へ行ってきた。以下は備忘録。

2日は、早朝出発でお昼着。とはいえ桃園空港で一服したときには、もう昼は過ぎていた。地下鉄で台北中央の途中で乗り換え、大橋頭駅で下車、時間経過を感じさせる黒ずんだコンクリートの住居群が多く、攻殻機動隊の映画のような(確か舞台を台湾に移していたはずだったのではなかったっけ)風景の中、曇天なのでおっかなびっくり進んでいくと、レンガ造の建物に。ここが草御殿で、お世話になる。

草御殿ではヤンさんというメガネをかけ口ひげのある男性がエスコート、英語がペラペラで(ちなみに台北ではどこでもほぼ英語は通じる。最終日にわかったがインドから滞在されているようだった)親切にしてくれた。草御殿は御殿の名の通り、手前に普通のブティック並みの広さの現地物品店、そのまま中庭があり、抜けるとカフェほどの広さのバーがある建物。まるで御殿だ。バーでヤンさんの出してくれたお茶を飲みながら、大正時代から(つまり日本統治時代の)建物で、すぐそばに川があり、米などを精錬する工場だった(らしい)という話を聞く。タバコを吸いたいというとバーの奥の扉から外に出してくれて、そこは川沿いの堤防に面しただだっ広い場所だった。似たような建物が続いていることを確認して、いきなり時代を感じる。今日は、アイドルのPVの撮影クルーが来ていて、喫煙所が使えなくてこちらで、と言われた。普段は2階で吸えるらしい。

戻って、物品店の2階に、ギャラリーや多目的ルームに改装されている部屋があり、その脇の高い階段を上っていくと、いわゆる屋根裏的な場所にドミトリーがあった。簡素に仕切られていて、快適だ。

あまり正確にはわからなかったが、草御殿は、どうやら台北に在住している、海外からのアーティストたちが共同で運営しているようだった。僕が知ったのは花崎草さんというパフォーマンスの芸術家のfbで(というより、草御殿でノイズ奏者のdinoやギタリストのJAシーザーがライブをしている動画を見て)知ったのだけれど、欧米やアジア各地の人が運営しているようだった。まあ、どの角度から見るかで感想も違うかもしれないけど、台北の文化としてみると、こういうあり方は面白いと思った。日本では、これだけ作家が多く、海外との行き来も盛んなあり方は、できないのかもしれないなとか、ちらりと。

 

その日はそのあと、御殿につながっているユカ街を延々と南下する散歩。バーでヤンさんが大正時代の地図を見せてくれて、街並みは同じだと言われたが、確かに古い建物がずっと並ぶ。とくに、バロック建築というべきだろうか、ファサードが波打っている建物が多く、これは大正時代の日本の西洋趣味なのだろうか、とか思った。中には柱が傾いているものもあり、こういう風景は楽しい。建物の中には、問屋街というべきなのだろう、乾物の専門店や提灯の専門店が軒を連ねている。カフェや食事処もあり、観光客もちらほら。

気づくと数駅分歩いていた。途中、道教のお堂らしい施設を眺める。コンビニを発見したので、コンビニ(セブンイレブンファミリーマートが沢山ある)で水とお茶とコーヒーとおにぎりとポテトチップスなどを買う。これでとりあえず生活はできる。

帰りに、英語も日本語も説明がないが麺などを扱っている屋台風のお店に入り、海鮮ヌードル。セロリをはじめとした薬味が薄塩味のスープに効いていて、海老や烏賊など。具のひとつに、魚のすり身の中に魚卵が入っているビックリかまぼこみたいのがあり、めちゃくちゃ美味しかった。これが5つぐらいあるヌードルを食べたい。

戻ってきた草御殿で、2階の回廊の中庭に面したところでぼんやり喫煙していると、音の風景が素晴らしいことに気づき、録音を試みる。向こうの川沿いの道路の車、バーか近隣からか聞こえてくるピアノ、下階での話し声などが、建物を通り抜けつつ、建物内で反響している、音響空間ができている。ノートPCを開きガレージバンドの内蔵マイクを試すがほぼ拾わず、結局スマホで撮った。そのまま日記代わりにすることにする。

 

 

2日目。朝は近くを散歩することにする。朝食はおにぎり、味海苔で美味しいし、お茶も薄く甘みがついていて美味しい。これは日本でも売って欲しい。

大きな道教のお堂があり、屋台が出て、昼から飲んでいるという場所に行く。看板に英語も日本語もなく、発音もできないのでウロウロしたのち見送って、お堂に入ってしまった。電飾で光る祭壇があり、まだお昼前なので焼香はほぼない。奥まで行くと、いくつもの像があり、名前の知らない神仙たちがたくさん並ぶ。何より驚いたのは、その多くが金の服飾をしながら、黒い肌をしていたこと。黒い肌というと文脈が想起されそうだが、そういうことではなく、要するに人ではなくなったパワーの表象なのだろう。確かに威光を感じる。あまり敬虔ではないので知識は疎いが、見たことのある仏像だと金色か、素材の色の場合が多いし、塗ってあっても黒は少なかったような気がする。

 

早い昼食代わりにファミマに行って、パスタを注文。想像を超える辛さのパスタで、台北の若者はこんなの食べてるのかとのけぞる。

 

連絡していた味王から、今日は今度のノイズ企画のオーガナイズで手一杯になってしまい、社会的活動は不可能になった、と連絡。それはしょうがない。味王は、去年AMFであわせて出版されたサウンドアートの本で、インタビュアーや英語の翻訳などに名が載っている、女性のDJだ。DJと言っても非常に政治的な作品が多く、演説をループ&スクラッチしたものなど面白い。夕方に会おうかという話をしていたのだけれど、というわけで。

時間が余ったので、孔子廟へ歩くことにする。まず草御殿の近くの台北橋で、録音をしてみた。水辺の空間だが、人がいる感じはほとんどなく、散歩やジョギング、サイクリングをしている人がいるくらい。ゴミもほとんど落ちておらず、少し驚いた。

孔子廟では、昨日と同じ、畏怖を覚える像が沢山あり、なかなか驚いた。カフェに入り、ジャレッドやシーザー氏と連絡しながら、先行一車にあとでいくスケジュールをなんとか固める。

 

 

夜に、民権西路駅で、黒狼/ブラックウルフことダワンさん(黃大旺)に会う。アルス・エレクトロニカも受賞し、多くの芸術家と交流する台北のシーンの大物・・・という具合ではなく、文化を担っている個人としてお会いしたつもりで、前から連絡もしていた。ちなみにノイズもやればダンストラックも作り、伝統歌謡からフリージャズまでもする。10年ほど前には関西に在住していた経験もあるということで、日本語で。

歩きながらポルノの話をし、ご飯屋さんに連れて行ってもらう。汁なし炸醤麺とワンタンのスープ。おいしい。持っていた本をお貸しする。日本の文化状況への理解も深く、BL進化論から寺山修司まで翻訳もしているということで、誤解されることは一つもないと確信していた。杉本さんの本と、ゲンロンのゲーム特集をお渡しする。本を読む手つきが美しい。

また歩いてカフェへ。地下鉄の地上部分に造営された公園などを見て僕がはしゃぐと解説してくれる。あと最近は台北も地価が上がっているらしく、ロンドンやNYと似た展開のようだが、個人的には東京はあんまりそういう話になっていないことを内心思ったりした。カフェでは、黒狼の最近の活動の話、とくにジャズについて、音楽家たちとの交流で進めているプロジェクトであると聞く。音楽家がいるから音楽を作るという取り組み方は、魅力的だと思った。そのあとゲームの話になり、80年代文化やMAD動画などで盛り上がる。

先行一車に行く予定というと、案内していただくことに。途中の電車で、現在の台湾の政治状況やネット内政治状況の話を聞き、社会的パニックやストレスでの体験の話をする。僕は震災の話しか引き出しがない。ジム・オルーク氏など、どのように思っているのだろうという想像を唐突にする。

 

 そのあと先行一車へ。ここは現在の台湾のノイズの震源地の一つで、最近はレーベルもやっている。ここまでですでに明らかだと思うが、現在、台湾は即興音楽だけでなくノイズミュージックの新しい動きがあり、そこにメディアアートやネットアート、舞踏などが絡み合った、うねりがある。その一つの現場がここなのだ。

とはいえ、噂通りの普通の家。普通の部屋に、カウンターと、隣の部屋にレコードがぎっしり。ジャレッドに会う(ちなみにジャレッド・シューはベルセルク名義でノイズを作っており、その音源からファンになったのだけど実はとても若く、19歳でメルツバウとのスプリットアルバムを出し、今まだ大学生)。先日fbで見た、台南でのケージのナンバーピースの演奏はすごい良かったと伝える(ちなみに台南にも聴説という場所があり、そこは即興演奏のアリス・チャンらが運営していて、独自の音楽を育んでいる)。シーザー氏を待ちながらビール。ダワンさんが歌謡曲をかける。地下のライブ部屋に行くと、少し前に爆音でギターフィードバックを4台のアンプでかましたら、上階のものがすべて振動し、近所から怒鳴り込まれて、最近はここではなく、公道の地下道で勝手にやるプロジェクトを始めたと聞く。いい話。

シーザー氏が来て、ノイズの話をする。年始に大友さんもいるFENが来た時、dinoとデュオをしたハードなインプロギター奏者。ジャレッドが、高校生の頃デスメタルバンドをやろうとしたがメンバーがいなくて、ここに来たらノイズを始めたとか、dinoのノイズは高周波が凄そうだが、やっぱりそうとか、そういう話をする。そばを北山Q男が通過していった。先行一車は5年前にオープンしたらしい。いい話。

 

3日目。昨夜、投宿前に寄ったコンビニで買ったおにぎりとお茶で早朝に朝食。ふたたびお堂まで散歩し、屋台で看板を指差して炒飯を食べる。空腹だったので高速で食べた。ふらっと散歩を続けると、お堂の周りにもお店があり、そこでは煮魚や鴨などのぶつ切りや蟹など、無意味なまでに美味しそうなものを並べビールを飲んでいるおじさんなどがいたが、個人的な言語能力の限界でそれは注文できなそうだと判断した。次は知り合いと一緒に来るしかない。お堂で録音。

 

 翌日は早朝チェックアウトの可能性があったので、ここでお支払い。ヤンさんと話していると、今日が祝日であるということを今さら知る。銀行はやっていないと言われ、インドの銀行の話に。今日この後、草御殿ではイベントがあってヤンさんはタブラ奏者でもあるので演奏するのだが、そのあとは僕は温泉に行って休むんだよね。と言われた。だから今夜はあなたが独占で、静かで良いですよねと言われ、いや預かっている鍵とかどうすれば、と聞くと、そこに置いておけばいいよ、扉あけっぱなしでアハハと言われて、正直すこし不安になる。早朝は草御殿は全員寝ているのだが、ここはユカ街からの観光客が多く、客が扉を開けようとしているのを散歩帰りの私はすでに見ていた(施錠されているので、客は入れず)。同じようになって、客が入ってきたらどうするんだろうかと思うが、あまりに不安すぎ、かつヤンさんが自信ありげだったので花崎さんにも連絡しなかったが、まあ、なんとかなるだろうと思うことにした。

 

メディアアーティスト集団lolololのシャ・リンから、ギャラリー情報が送られてきたので、行ってみることにする。台北科技大のすぐ近く。科技大の建物が、大きい建物に巨木がめり込んでいるような外観で、見た瞬間あんぐりした。しかも周囲全体に緑というか、植生が炸裂しており、むしろその外観に知性と知性への誇りを感じた。生半可な自信ではこれはできないだろう。と思うと、ダワンさんから難関校だとツイッターで教えてもらう。深く納得する。

ちなみにギャラリーは祝日で閉まっていた。

 

夜は待ち合わせの西門へ。半年前AMF/アジアン・ミーティング・フェスティバルが行われた中山堂に立ち寄ってみる。すぐ近くのカフェにも行ってみて、半年前ここでコンサート観劇前にwifiのバッテリーが切れやや焦ったことを思い出した。とりあえず通りに戻って、デパートに入ってみるなど。

それからlolololの二人、シャ・リンとシェリル・チェンと再会。半年ぶり。ちなみに知己を得たのはアジアのノイズを探していた時に、環境音や身体音とノイズを合わせた独特な演奏をしていたシェリルさんの映像を見つけ、fbで知り合いに成ったのがきっかけ。その後こちらのトラックを再構成した作品とか、去年はバンコクビエンナーレで40人以上の作家をオーガナイズしたオンライン・パビリオン「フューチャー・タオ」に作品を入れてくれたりとか(フューチャータオは、年末に実際のギャラリーで展示として展開した)、それで去年AMF後に、シャ・リンとシェリルさんと会ってとか、そういう感じだ。全体のベクトルはシャリンが突き進み、英米で美学修士まで持っているシェリルさんが哲学や美学を駆使したプレゼンテーションを構築する、という具合に近い。

排骨飯のお店へ連れて行ってもらう。ここ、元はディスコで、改造して飯屋にしたのヤバイでしょフフフというシェリルさんの言う通り、池袋とかにありそうなギラギラした店内だったが、何よりも各所に置かれたモニターから、なぜか日本の演歌番組が流れており、きみまろ司会の襟裳岬や高校三年生などを聞くことになった。麺や飯、豚、鳥などを食べながら、最近のプロジェクトの話を聞く。情動や漢方(漢方と言ったら、それは漢の事なので、ただのメディスンだねと言われた)や、薬理と詩人が両立する伝統医療の話を聞いたりした。二人とも台南で二ヶ月近くレジデンシーで滞在しており、とくにシェリルさんは漢方のドラゴン・スープに用いる植物を使った作品を構想しているという。どういう体系なのかと聞いていると、むしろ呪術と薬学が近接していて、メタファーで全てが繋がっているようだ、と言われる。フーコーの言葉と物の前半を思い出した。その合間合間に、襟裳岬の歌詞の解説などをする。

 

西門の繁華街を歩いてカフェへ。ここは原宿と渋谷と合体したような街並みで、毎回驚く。歩きながら、去年のフューチャータオの展示の話をして、大成功で、予想した以上の集客があったようだが、シャリンはそれに慎重なようだった。会場内に高さの違うカート付きの椅子を3個置いていて、来た人がそれをどう使うかをずっと見ていて面白かった、という。本当の展示はその椅子を皆がどう使うかという、現場の動きだったのだといって笑っていた。どことなく、わずか半年前に会った時と比べて、作家としての自信を身につけているようだ。道すがら一服しながらシェリルさんに、最近公開されたdinoのインタビューが良かった、と言うと、dinoの酒量がすごくてインタビュー中もずっと飲んでいたという話を笑いながらしていた。

カフェでは、最近、改めて関心を持っている、身体の限界値に近い領域でのテクノロジーアートの話から。2010年代の話や、空間の芸術などの話から、次第に彼らが持っている関心へと話題が移行する。どこに焦点を当てているかと聞くと、現象や感覚であり、テクノロジーとしての医療や体術、諸々の技芸などとの関係を見ている、というような会話に。そこにアウトプットする時にもう一撃として、現代的なロボティクスやサイバネティクスを差し込んでくる。途中、二人の話がすれ違ったり、また交差したりするのも面白かったが、こちらとしてはしばしば念頭に置きがちな物理的な問題や、論理・コンセプト・コンテクストの面から立論していくのと違うアプローチで(そしてこちらの問題関心は彼らにとっては部分的にせよ前提であるという風でもあったので)、非常に新鮮な議論に感じられた。表面的にはサイバーなアートだが、独自の奥行きがある。彼らにとってもあまり議論をする人がいないというので、台北のアートレビューの話題や、あとは製作中にPCが止まる話とかで盛り上がる。

去年の展示のための大きいポスターをもらって帰る。

 

 

翌朝、早朝5時に起きて、チェックアウトの準備。不安だった鍵は、たまたま運営のハンサムな男性が起きてきたので、鍵を返し、閉めてもらう。安心した。

国父記念館へ。ここでシャと落ち合い、彼女のプロジェクトである3C武術について体験。基本の型というのを解説してもらい、自分もやってみる。面白かったのは、型が機械の形を模したものであり(蟷螂拳とかのコンピュータ版だと思えばいい。カマキリの構え、の代わりに、デスクトップモニタの構え、があるのだ)、つまり身体にコンピュータの形態を入れていくわけだが、それが同時に瞑想的な雑念を払う経験でもある、というコンセプトだということ。要するに機械になることで、無駄な思考をしなくなり、動作だけがある身体になるというわけだろうか。そうした瞑想の要素は型の一つだけだったが、それを聞いて、非常によくコンセプトが理解されたし、また実際にやってみることの面白さも体験した。身体と感情が、直接的ではないが、ある形で繋がっているのだ。

これはなかなか面白い。というと、何かそちらから提案は、と言われたので、よく分からないが唐突にフットワークの動きを記憶から再現して披露してみた。あと、アイデアとしてはスマートフォンのスクリーンなどはどうだろうかと言ってみる(これらはなかなか気に入ったらしく、ついさっきも、直接タッチするのではなく、エア・モーションで作動するスマホ画面、というのが送られてきた。もう気功のようだな、と返した)。とりあえず身体的な限界を感じ、ここで切り上げて食事へ。記念館の公園で録音した。

 

そのあとは、チェーン店でハンバーガーやマフィン。ピーナツバターが使われており、安いのにおいしい。彼女たちは祝日なので、これから家族とお墓詣りに行くのだという。盆踊りというのが日本にはあって、という話など。

 

 

眠いので、そそくさと帰る。