シェリル・チャン来日


来週、台北からシェリル・チャンが来日します。東京に来なくていいと(東京にはそんな物珍しいものはないから)言ったのに、AMFのために来日します。そこで、知っている範囲で、彼女の活動についてまとめてみました。

 

 
シェリル・チャンは、自身の腕や胸に電極をつないで音に変換したり、あるいは植物にセンサーをつなげて楽器として演奏する、サウンド・アーティストです。一方でデジタル・アートのアーティスト・コレクティブlolololの主宰の一人でもある。この両面を紹介してみます。

 

まず、コレクティブlolololとして。その活動は2010年代前半から始まり、台北だけでなく世界中のアーティストを集めた企画をおこなっています。たとえば、日本のエキソニモや谷口暁彦を招聘する企画をキュレーション(Internet Implosion 展、2015年、国立台湾美術館)したり、台北現代アートセンター(TCAC)でパフォーマンスやVRを用いたイベントなどをおこなっている。インターネット・アートを軸に、幅広いデジタルアートのコレクティブだと思います。

去年2018年には、バンコクビエンナーレで「オンライン・パビリオン」として、三十人以上のアーティストからなる「フューチャー・タオ」をオーガナイズ(エキソニモの別存在であるidpwなども参加しています)。こうした、台湾ですすむデジタル・アートの、インディペンデントなキュレーターとしての顔をもっています。

f:id:ohwaku:20190625164622p:plain

昨年10月、バンコクビエンナーレの成果を実際に展示で再構成した「Future Tao Training Space」(at project seek)の風景から

ç»åã«å«ã¾ãã¦ããå¯è½æ§ããããã®:1人以ä¸ãå¤

 

ç»åã«å«ã¾ãã¦ããå¯è½æ§ããããã®:ãã¼ãã«ãé£ã¹ç©

 

一方で、ソロ活動もおこなっています。そこでは、サウンド・アーティストというか、音を使った作品やパフォーマンス(あるいは演奏)で、積極的に活動しています。

台湾では現在、即興音楽と電子音楽メディアアートのシーンがあちこちにありますが、とくに台南の即興スペース聴説や、世界的に注目されるノイズフェスティバルである「失声祭Lacking Sound Festival」などを主な舞台に活躍しています。

そこでは、電子音楽とも、サウンドアートとも呼べる、脱領域的なパフォーマンスが見られます。とりわけ冒頭に述べたような、腕や胴部に電極を貼り付け、血流や心拍などを音に変換したり、センサーを取り付けた植物の葉に直接、手でふれることで音を探っていくと言った、テクノロジーと自然との対話をテーマとしたパフォーマンスが際立ちます。

こうしたソロ活動では、他の作家や演奏家との共演もしており、即興的なサウンドアートないしマルチメディア・パフォーマンスとして、台湾だけでなく、韓国やイギリスなど、世界各地で試みています。

 

åçã®èª¬æã¯ããã¾ããã

 

f:id:ohwaku:20190625164326p:plain

今年5月、タイでのマルチメディアパフォーマンス「アニミスティック・アパルタス」から

 

f:id:ohwaku:20190625171907p:plain

台北ビエンナーレ2018から

付言すると、こうしたソロ活動では、二つのポイントがあると思います。一つは、それがメディアアートなどの側面をもっていること。とくにフルクサス(特にパイク)からの影響を思わせます(実際、初期のソロパフォーマンスでは多数のテレビを置き、モニタに彼女自身の様々な感情の表情を映し出しながらノイズやパフォーマンスを行う作品があります)。

そこから、さらに転じて現在では、自然の物質を、電気信号を媒体として、音へ変換するという手法に進み、身体から植物まで、様々に電極をつないで音に変換していきます。それらは、そのスリリングな聴覚体験とともに、視覚的にもインパクトがあるでしょう(さらに、作品ごとに膨大なテキストも残していて、そこもアートの文脈を感じさせます)。

 

もう一つは、こうしたパフォーマンスについて、彼女自身は、幼少期の体験が大きかったと言っています。シェリル・チャンはカナダで生まれ、北京、ニューヨーク、台北で育ち、大学はニューヨークで、バーミンガム修士号を取っていて、各地の多様な文化に親しんだとインタビューで述べています。その中で、とくに教会での聖歌隊で賛美歌を歌っていたことは、体験として、音楽だけでなく、発声するさいの身体の振動をじかに経験したものとして、以後の活動の基礎になっていると言います。言いかえれば、一見コンセプチュアルなその手法には、身体と音を介した物理的振動、という原初的体験から由来している側面があるわけです(他にも、不慣れな文化生活環境の中に身を置く中で、「聴く」ということが重要な習慣となった、とも述べています)。

インタビューはこちら。

soundcloud.com

 

さらに、自身の関心として、身体と感情(情動)をあげていて、彼女の作品は音を介した身体ー情動の関係の表現としての側面を持つとして、とりわけカトリーヌ・マラブーやユク・フイなどの西洋哲学に親しむなかで、身体と、意識ないし情動との相互フィードバックにかんする考察を深めながら創作をしていると言います(これもいいかえれば、感情や主体的な考察をストレートに表出するのではなく、場合によっては意識されないような身体や物質の動きを拡張し、それと、意識や感情との相互関係をプレゼンテーションしている、ということになるでしょう。この点で、医学や生物学・生理学のような領域との重なりがあると思います。実際、彼女は古来伝統のものをふくむ医療にも関心をもっています)。

またこうした関心から、近年では身体や植物だけでなく、環境や自然にも対象をひろげていて、そこでは漢方をふくむ、台湾の地域的文化でもある道教の自然観に注目した作品も発表しています。そこでは、環境音やノイズを加工したサウンドからその世界観を生成・再構成する、ライブ・ミュージック・コンクレートともいうべき音の世界を作り出しているようです。

 

 

少しだけ、音も紹介してみます。彼女の演奏は非常に幅広く、リズム感のあるものから、環境音を使ったドローンやノイズまで、その場やコンセプトに応じて広がっています。

まず、リズミカルなもの。植物を使って演奏しているようです

soundcloud.com

 

 

アンプを使った、フィードバックノイズ

vimeo.com

 

 

ミュージック・コンクレート。これは日本統治下の地震の体験をコンセプトにしたものだそうです。

soundcloud.com

 

 

近作。

sherylcheung.bandcamp.com

 

 

 

ということで、長くなりましたが、現在注目されつつある台湾の新世代の音楽・アートシーンを代表する一人と思います。そのパフォーマンスは電子音楽とも、メディアアート、バイオアートとも共振するサウンド・アートとしての性格もある。今回の来日で彼女がどのような音と環境をつくりだすのか楽しみですし、また東京の、あるいはアジア各地の芸術家とどのように交流し、どのような演奏をするのか、とても楽しみです。

 

 

 Ã¥Ã§Ã£Â®Ã¨ÂªÂ¬Ã¦Ã£Â¯Ã£Ã£Ã£Â¾Ã£Ã£Ã£

 

 

 

 

Sheryl Cheung will come to Tokyo. Known in photos as connecting electrode to her own arms or breast, and plants, she plays them as instruments with noise and field sound. Now she based on Taipei, and also the member of art-collecive “lololol”.

 ç»åã«å«ã¾ãã¦ããå¯è½æ§ããããã®:20人ããã¹ãã¤ã«
Try to brief introduction of her works. First of all, she is one of members of new generation in Taiwan art scene.As for co-curator of lololol, curating some exhibition, including Internet Implosion which invited Exonemo and Akihiko Taniguchi to Taipei, and many events in TCAC. And last year organized online pavilion “future tao” in Bangkok biennale, with over 30 artists.

On the other hand, as solo performance, Sheryl often act like conversation between technology and nature. We could see her activities in Lacking sound fest and 聴説 in tainan. She uses her body as “media”. Especially, with electrode on her arms and body, exchanging blood-flow and heartbeats to sound, so impressive one. And she is also interested in nature, especially plants, so connecting sensor with them and touching for making and search new sound. she performes these kind of playing around the world like London, Soul, etc.

About her performances, she talks that it’s so important in her childhood. Sheryl Cheung, born in Canada, grew up in Beijin, New York and Taipei. And especially in her childhood, singing chants in church, which was an experience of music, but also a key to understand her body vibrate with sound. And through her schooldays in NY or UK, she studied and read western/eastern philosophy such as C. Malabou or Y.Hui, so now explore the relation between body and consciousness/emotions. More recently, with interest to nature and circumstance, and also Daoism as local culture in Taipei where she lives now, tries to generate sounds with nature-sound or noise, which we could call as live-musique-concrete.

 

Her performance is at the crossing point between electro music and sound-art including media-arts, bio-art, now feature the one of Taipei art-scene.So now is the chance to see these cutting-edge art/performance, and  to see how sound and circumstance appeared with her arts. That will be so exciting.

 

 

======

ホームページ https://soundcosmology.cargo.site/

 

 

 

 

 

 

2018、台北、夏(続々)

3日目。とりあえず昼近くまで寝ていた。昨夜おそくまでフェイスブックでやりとりしていたせいもあるが、なにしろ豪雨でずぶ濡れになったときの疲労が蓄積している。そういえば、2日目は228公園にいったあと、書家ツァイ(lolololで知り合った)のオフィスに行く予定だったが、豪雨で配水管が壊れてしまい、その対応に追われていると彼女から連絡があって予定を取りやめにしたりした。本当に歴史的な豪雨だったようだ。一方で、深夜のフェイスブックにはイベントの打ち上げ写真がアップされてきていて、lolololも混じっていたりして、よかったと思う。

 

というわけで10時ほどに起床して、買いだめしておいたコンビニの冷麺をたべ、お茶を飲む。メッセンジャーでは、おすすめの美術館情報などが送られてきて、あれこれ検討したが、どうも少し距離があるところが多く、しぶってしまった。

結局、トレジャーヒルからすぐ近くの、台湾大学を散策することにする。正門まえには南国の樹木が植えられ、広い通りが校内をぶち抜いている。暑い中をとりあえずぶらぶら。新しい校舎などを眺め、建築がすばらしいことにため息。歩いていると小雨が降り始め、ファーストフードに寄ったのち昼寝した。

 

夕方に起床すると、lolololから夜に会食しようというメッセージ。地下鉄忠孝新生ちかくのカフェでということになった。外へ出て、公館をぶらぶら。3日目になるとだいぶ慣れる。歩いていると、急に日が差してきて、それまでの嵐が嘘のように快晴に。おまけに巨大な虹が空を左右に貫いていた。(これはもしや大友さんが離陸したのでは笑)と思いながら、写真を撮る。台北にいたフィオナリーもフェイスブックに虹の写真をアップしていた。

乗り換えに必要なので、また中山堂がある西門で電車を降りて、食事でもする。昨日みた原宿と渋谷が合体した繁華街のはしっこで、牛肉麺をたべた。もしかすると、これが台湾らしい料理の初かもしれない。薄味でおいしい。

19時ごろ、忠孝新生にいく。行くと、まるで恵比寿のような街並みがあらわれ、なかなか驚いた。公館は大宮ぽいし大学は南国だし、西門は原宿で、ここは恵比寿である。ほんとうに恵比寿みたいで、うっかりすると日本語を話してしまいそうだった。「ここは台北」と何度も頭の中でくりかえした(本当に)。

 

道路で煙草を吸っていると、lolololが登場。カフェに行った。まるで恵比寿。コーヒーを注文。lolololステッカーをもらう。

それから話したトピックは多岐にわたる。台湾のアーティストの多さ、日本の評論の多さ、デジタルアートについて、サウンドアートについて、日本の即興、音響派について、中国の現代哲学について、身体について、数学モデルについて、などなど。シェリルさんとはだいぶ長く連絡をしていたので、一通りの興味はわかっていたつもりだったが(ひと月ほど前にロンドンでレジデンスをしていたとき、インタビューの内容やワークショップの進展などについても聞いていて、フランスの哲学者マラブーまでをふくむ関心も知っていた、僕はむしろ勉強する側だった)、シャ・リンについてはあまり知らなかった。聞いていると、lolololの全体のコンセプトは彼女が立てているようで、それも実際にある時期から、ローカルな文化に目を移し、公園で太極拳を学びながら地域文化を考察しているのだという。一方でテクノロジカルなモデルにも関心があるといい、膝を打つ思いだった。気が付くと、翌朝の練習を見に行くという話までになっていた。

 

翌朝、国父記念館へいく。ここは孫文を祀っている記念館で、広い公園になっている。そのあちこちで、朝の拳法の練習がおこなわれていた。見てみると、想像した以上に動きが速く、シャープである。

終わった後、レストランへ行き、オムレツをたべた。これも台湾ならではで、おいしい。たべながら、シェリルさんが芸能山城組が好きだということ、シャが寺山が好きだということ、などを聞く。それについて、帰国したら関連動画のリンクを送るよ、という話をして、また会おうねと、拳と拳をあわせて挨拶してから別れた。もう、ここがどこだか、よくわからない。

 

あとは順調に帰国。空港で、なぜかパリにいるリン・チーウェイから「台湾はどうだ、暑いか」というメッセージがきて、「まあまあかな」「蚊がいっぱいるだろ、蚊がたいへんだ」という会話をする。

空港でまた牛肉麺をたべて、飛行機に乗った。

 

 

2018、台北、夏(続)

宿泊所でフェイスブックを見ていたら、参加者の一人が(たぶん勝手に)中継しているところを見つけた。2階からのようだ。思わず見ていたら、声と電子音、伝統楽器の集団アンサンブルが生まれている。成功しているようだ。

ほっとした(シェリルさんもいるので)のは良いが、土砂降りで何もかもずぶ濡れの状態をなんとかしなければと夜が過ぎる。

 

2日目。食事は公館のファーストフード。ハンバーガーとポテトが美味しい。そのまま、蒋介石記念像のある中正記念堂に行く。白亜の広大な敷地に、奥に多角形の幾何学的な建物があり。階段を登っていく。これはまさにバロックの美学と思っていると、中に巨大な蒋介石像。中も幾何学的で、ソ連時代のアバンギャルド建築を思い出すほどの権力と美学の結合を見た。

出ると、しばし歩くと今度は228記念公園。ここには、蒋介石以後の政府が行った市民の弾圧と虐殺の事件と被害者に捧げられた資料館とモニュメントがある。資料館を眺め、ため息ののち、モニュメントを見ると幾何学的で美しい。こちらには、広島記念公園の幾何学性がある。広島よりも圧縮されているような印象さえ受ける。

この二つの施設を見ると、台湾の歴史が動いている、あるいはここに台湾の今も示されているように思う。僕は日本出身なので帝国主義を思いがちだ。だが、むしろここ、この二つを結ぶ線の上に、今の台湾があるように思われた。国家としてのアイデンティティと、その暴力を乗り越えるための先進性へのベクトル。ため息をつく。

 

けっこうすでに疲れているが、ふたたび中山堂へ行った。まず近くの繁華街へ。驚く。

これまで見ていた台北は、空港から公館、トレジャーヒルが中心で、どことなく日本でいう大宮のような雰囲気ばかりだった。だからどこもかしこもそうかなと思っていたのだが、ここは原宿である。と言うか原宿と新宿と渋谷が合体していて、顔を向ける角度でそのどれかに入れ替わるような錯覚さえ覚えた。東京じゃん、これ。と言うか、東京はなんなのか?とチラリと思う。甘口にアレンジされた日本風ラーメンを食べた。

 

中山堂に行くと、またシェリルさんに会う。それに、lololol発起人、シャリンにも会った。丸メガネで長身。すでにバンコクビエンナーレのパビリオン企画フューチャータオは始まっていたし、僕も参加していた。「いつもネットでやりとりしているから不思議だ」と言われる。それは、僕もだね。と答える。

それから、ダワンさんと会場内で。会場内は観客が歩き回るタイプだったので、演奏までずっとダワンさんとしゃべる。今の関心、今日の関心。彼は本気だった。半ば観光気分だった僕は、その会話を通じて、真剣に聞くことにした。耳を澄ます必要がある。懐かしい感覚。空間内の音に焦点を当てる。演奏者を見るのではない、音と空中の音の動きを聴く。耳を澄ます。

 

イベントについては、フェイスブックに書いた(2018年9月10日の投稿)。電子音とノイズと伝統楽器が繰り広げる、圧倒的音の塊。まるで頭上から雷雲が落ちてきて音楽と絡み合うような異様な音。

終わった後、観客の多くが上気しているように見えた。たぶん成功なのだろう。彼らから、まるでこれがいつもの演奏のような感じの意見を聞いたが、そうではないことを僕は知っている。

台湾については、すでに部分的ながら知っていた。ここでは90年代まで軍政があり、以降の民主化の時期に一気に新しい文化が入ってきて、ロックとともに、その先端がノイズだった。いいかえれば、1960年代以降のフリーインプロの文化を、そのジャンルとしては通り過ぎる形で、いきなりノイズから入っていったのだ。その特殊性と(だが、それはどの観点からの特殊性なのか?)弱さとは言えないある種の強さ、あるいは独自さを感じる。ノイズの中にインプロがあるのは自明のことであり、そう、だとすれば、それはどういうことだろうか

 

すでにヘロヘロだったので、シェリルさんやシャリンとの食事と散歩の話は次にするということで、トレジャーヒルに戻った。コンビニで買った夜食を取りながら、感想を一気に書く。デビッド・トゥープはじめ、即座にリアクションがあった。それらに答えながら、上に書いた問題について、まだまだ考えることはあるなと思った。(続

 

2018年、台北、夏

そういえば、これまでの記述の中で去年の夏の話が抜けていたので、簡単に書いておこう。去年の夏、アジアンミーティングフェスティバルがあるということで(気分としてはそれに便乗して)台北に行った。初の台湾。覚えている範囲で書いてみよう。

 

全体として、とてもバタバタしていた。

予約からして、開催1ヶ月以上前にイベントが満席という情報があり、困ったのですでに知り合いだったシェリルさんに連絡して、一枚とってもらった。彼女は1日目に出演するのだが、取れたのは2日目だけで、しょうがないしょうがないと互いに言い合っていた。

それから宿泊や飛行機も、渡航半月前ぐらいに一気にやろうとしてバタバタ。適当にやろうかと思っていたら、またシェリルさんから、トレジャーヒル・アーティストビレッジに宿泊所がありオススメ。と言われたので、予約する。予約したら、認可に2週間かかるということで、本当に宿泊できるかはギリギリまで不透明のまま渡航した。

 

事前の知識もほぼない。友人に直前に会い、歴史と地理、諸々の感覚について、一通り聞いた。蒋介石記念像と228平和公園の話も聞く(これは実際に行って、行った価値があったと思う)。とはいえ彼は観光的な情報だけなので、僕は、例によって、できれば普通の暮らしの目線を少しでも感じたいと思った。

 

渡航。飛行機はチャイナエアライン。4時間ほどで着く。駅で両替、車内で旅行ガイドを開いて、携帯で宿泊先のトレジャーヒルを探す。

最寄駅は、公館。すぐ目の前に、国立台湾大学がある。そこから右に曲がり、5分ほど歩くと、いきなり都市が切り取られて、落ちくぼみ、そこに森が埋め込まれているような場所があらわれる。古い民家の街区をそのまま残した、宝蔵巌国際芸術村の姿だ。

入り口には巨大な道教寺院。その門をくぐらないと中には入れない。見たこともない龍や諸々の神仙の像の中を進み、細い道が左右にいくつも広がる。一番奥が、予約していた宿泊所だった。無事空いていた。個室。喫煙は不可。だが居心地はいい。

 

荷物を置き、都市中心部の中山記念堂へ。ここでイベントがある。行く途中、雨がぱらつく。到着すると、大友さんとアンサンブルズ事務局の田村さんがいて、挨拶。「よく来たねえ」という言葉があるかと思ったが、来たのは「やっぱりコレ(雨)だよ」という田村さんの言葉。大友さんが雨男だということを意味しているのだった。大友さんは、これからのイベントよりそちらを気にしているようにさえ見えて、笑っていいやら複雑な気持ちを抑えて「雨ですねー」とかいう。

オープニングは、入り口広場でコンダクションのはずだったが、エントランス内部で行うことになったようだ。建物の中に行ってみると、階段に小柄で細い女性が座って携帯を見ていた。おそらくそうだ、と挨拶をする。シェリル・チェンにここで会う。ややナーバスに見えた。

まずチケットをもらい、友人というアーティストとだらだら話す。2週間ほど前にあれこれと連絡したフリーインプロビゼーションについて、彼女はすでに自分のものにしているようだった。どうなるかは、やってみないとわからないから、という。サムズアップをする。

コンダクションの時間。髪を縛った長髪の男性が参加していたのが印象的だった。あとは、アリスチャンが参加しており、声とリズムが、かつてないほど複雑かつマッシブに往還する音を作り出す。感動した。

 

この日は、これ以上はチケットがないので、帰る。大雨。さらに大雨。公館に戻ると土砂降りで、トレジャーヒルは果てしなく遠い。門をくぐり、鬱蒼とした木々の中の細い坂道をひたすら進む。ずぶ濡れになる。どうやら、この日は台湾でも記録的な大雨だったらしい。この日の雨のせいで、これ以降、トレジャーヒルについて語るときは、僕にはこのシュールな空がひっくり返ったような体験と切り離すことができなくなってしまった。(続)

 

編集

 これを書いているのは5日だが、順調に行けば明日6日に台湾のデジタルアートにかんする雑誌『ノー・マンズ・ランド』に、去年バンコクビエンナーレで参加した作品と、その文章が掲載される。ミュージックコンクレート作品で、文章は中文と英文。明日は忙しい予定なので、いま書いておく。

掲載されるのは、lolololがオーガナイズしたオンライン・パビリオン「フーチャータオ」の抜粋の一つとしてだ。昨年の7月から9月末まで、順次ホームページに更新され、合計50近いアーティスト・ユニットが参加した。その成果の一部は、11月に台北のギャラリーで実際の作品として展示が行われ、シャ・リンの映像作品、シェリル・チェンの植物と機械でできた音具、ナックス・コープのVR作品と、パビリオンの図像展示から構成された。正確な数はわからないが、実際に聞いたところでは予想を大きく上回る来場者があり、好評に終わったという。会期中には簡易ながらシンポジウムも開かれ、美術評論家の評論と討論などもあったらしい。

また、この一部を持って、彼らは現在実際にタイを訪問しレジデンスしており、夜通しの屋外上映や演奏をすでに行い、これから新しいプロジェクトに着手するという。

 

少し主観的な要素が強いので、ここで客観的な説明をくわえておこう。lolololは台北を拠点にするメディアアート集団で、設立は2013年前後のようである。中心はシャ・リンで、映像系のエンジニアでありつつ、身体芸術に関心を持っているらしい。またシェリル・チェンは、北京・NYなどで学生を、英国で修士を経て、北京などでキュレーターとして活動しつつ、台北に拠点をおいた。現在は台北タイムズの記者も兼ねながら、エンジニアリングのスキルも生かして生体=工学的なパフォーマンスを行っている。

この二人が現在の中心メンバーだが、実際にはもっと様々な人を含み、その全体は少なくとも10人程度のコミュニティで運営されているようだ。当初の関心はインターネットアートにあり、2010年代の前半には、海外からネットアートの作家を招聘した企画を行っている。また、ネットアート&カルチャーの代名詞であったヴェイパーウェイブをコンセプチュアルに拡大させたイベントなども行っていたようで、新進若手のネットアーティストというところだったと想像される。

こうした過程のなかで位置付けると、フューチャータオは、その彼らが、はじめて自らの方法論と表現を示した企画だったと言えるだろう。それは、個人的な活動をのぞけばおよそ5年ほどのブランクを経て、むしろ焦点を当てたのは道教であり、そしてその文化ーそこには太極拳や気功から漢方、祭儀、仙人などの神話や物語も含まれるーを基礎に(シェリルチェンはそれらをある種の「テクノロジー」だと言っている)、現代のテクノロジーと接合した美学を模索展開していくもの、と総じて言えるだろう。

 

このような大きな変化、とくに5年のブランクとその間でのテーマの転回は、後から知っても驚くべきものだと思う。この間、彼らは実際にコンセプトを模索する一方で、いわば自分たちの足元の文化に注目することに転じたのだという。とりわけ、ある一つの問題系として、二項対立が溶け合うタオのイメージに注目しながら、実際に台北の公園で行われていた太極拳の早朝トレーニングに参加した。だから、上記の展示が終わった時、彼らがSNSで表明した「それは公園で始まり、そこから広がっていったのだ」というのは嘘ではないし、また戯言でもないと思う。そこからおよそ5年の期間を経て、彼らは、西洋からも、あるいは日本からもとりこぼされている文化的なリソースを見出し、展開するすべを見出したー道教的なものを。

 

この、リアルで、身近で、日常的な文化的営為への参加と、他方で抽象的な理論ないし論理の融通無碍な絡まり合いが、この展示の魅力の一つである。実際、シェリルチェンのテキストには、哲学者ユクフイの議論が援用されーそこではエネルギーの取り扱いをめぐるハイデガーおよび形而上学批判から、西洋の思考をはみ出して存在する中華文化圏の思考様式への再注目が促されている。あるいは、だから僕自身も、そうしたところから、西洋における電気と生体の文化史を辿り、エジソン・テスラからフランケンシュタイン、そして最近のエレクトロマグネティックな美学を経由したのち、そのありえたかもしれない中華文化での展開を記してみた。幸いにも好評で、良かったと思う。

 

少し堅苦しい説明になったが、柔らかくいえば、その中には、性格からある種のスピリチュアリズム的な要素から、非常に具体的な太極拳の早朝練習のユーチューブ動画までが入り混じっている。よければ目を通してみれば、今のアジアの、あるいは今の若手の、あるいは台湾の、アートに触れ、理解する一助になるとおもう。

 

 

オンラインパビリオンのページはこちら

https://lololol.net/ 

 

 

台北備忘録

4月2日から5日まで、台北へ行ってきた。以下は備忘録。

2日は、早朝出発でお昼着。とはいえ桃園空港で一服したときには、もう昼は過ぎていた。地下鉄で台北中央の途中で乗り換え、大橋頭駅で下車、時間経過を感じさせる黒ずんだコンクリートの住居群が多く、攻殻機動隊の映画のような(確か舞台を台湾に移していたはずだったのではなかったっけ)風景の中、曇天なのでおっかなびっくり進んでいくと、レンガ造の建物に。ここが草御殿で、お世話になる。

草御殿ではヤンさんというメガネをかけ口ひげのある男性がエスコート、英語がペラペラで(ちなみに台北ではどこでもほぼ英語は通じる。最終日にわかったがインドから滞在されているようだった)親切にしてくれた。草御殿は御殿の名の通り、手前に普通のブティック並みの広さの現地物品店、そのまま中庭があり、抜けるとカフェほどの広さのバーがある建物。まるで御殿だ。バーでヤンさんの出してくれたお茶を飲みながら、大正時代から(つまり日本統治時代の)建物で、すぐそばに川があり、米などを精錬する工場だった(らしい)という話を聞く。タバコを吸いたいというとバーの奥の扉から外に出してくれて、そこは川沿いの堤防に面しただだっ広い場所だった。似たような建物が続いていることを確認して、いきなり時代を感じる。今日は、アイドルのPVの撮影クルーが来ていて、喫煙所が使えなくてこちらで、と言われた。普段は2階で吸えるらしい。

戻って、物品店の2階に、ギャラリーや多目的ルームに改装されている部屋があり、その脇の高い階段を上っていくと、いわゆる屋根裏的な場所にドミトリーがあった。簡素に仕切られていて、快適だ。

あまり正確にはわからなかったが、草御殿は、どうやら台北に在住している、海外からのアーティストたちが共同で運営しているようだった。僕が知ったのは花崎草さんというパフォーマンスの芸術家のfbで(というより、草御殿でノイズ奏者のdinoやギタリストのJAシーザーがライブをしている動画を見て)知ったのだけれど、欧米やアジア各地の人が運営しているようだった。まあ、どの角度から見るかで感想も違うかもしれないけど、台北の文化としてみると、こういうあり方は面白いと思った。日本では、これだけ作家が多く、海外との行き来も盛んなあり方は、できないのかもしれないなとか、ちらりと。

 

その日はそのあと、御殿につながっているユカ街を延々と南下する散歩。バーでヤンさんが大正時代の地図を見せてくれて、街並みは同じだと言われたが、確かに古い建物がずっと並ぶ。とくに、バロック建築というべきだろうか、ファサードが波打っている建物が多く、これは大正時代の日本の西洋趣味なのだろうか、とか思った。中には柱が傾いているものもあり、こういう風景は楽しい。建物の中には、問屋街というべきなのだろう、乾物の専門店や提灯の専門店が軒を連ねている。カフェや食事処もあり、観光客もちらほら。

気づくと数駅分歩いていた。途中、道教のお堂らしい施設を眺める。コンビニを発見したので、コンビニ(セブンイレブンファミリーマートが沢山ある)で水とお茶とコーヒーとおにぎりとポテトチップスなどを買う。これでとりあえず生活はできる。

帰りに、英語も日本語も説明がないが麺などを扱っている屋台風のお店に入り、海鮮ヌードル。セロリをはじめとした薬味が薄塩味のスープに効いていて、海老や烏賊など。具のひとつに、魚のすり身の中に魚卵が入っているビックリかまぼこみたいのがあり、めちゃくちゃ美味しかった。これが5つぐらいあるヌードルを食べたい。

戻ってきた草御殿で、2階の回廊の中庭に面したところでぼんやり喫煙していると、音の風景が素晴らしいことに気づき、録音を試みる。向こうの川沿いの道路の車、バーか近隣からか聞こえてくるピアノ、下階での話し声などが、建物を通り抜けつつ、建物内で反響している、音響空間ができている。ノートPCを開きガレージバンドの内蔵マイクを試すがほぼ拾わず、結局スマホで撮った。そのまま日記代わりにすることにする。

 

 

2日目。朝は近くを散歩することにする。朝食はおにぎり、味海苔で美味しいし、お茶も薄く甘みがついていて美味しい。これは日本でも売って欲しい。

大きな道教のお堂があり、屋台が出て、昼から飲んでいるという場所に行く。看板に英語も日本語もなく、発音もできないのでウロウロしたのち見送って、お堂に入ってしまった。電飾で光る祭壇があり、まだお昼前なので焼香はほぼない。奥まで行くと、いくつもの像があり、名前の知らない神仙たちがたくさん並ぶ。何より驚いたのは、その多くが金の服飾をしながら、黒い肌をしていたこと。黒い肌というと文脈が想起されそうだが、そういうことではなく、要するに人ではなくなったパワーの表象なのだろう。確かに威光を感じる。あまり敬虔ではないので知識は疎いが、見たことのある仏像だと金色か、素材の色の場合が多いし、塗ってあっても黒は少なかったような気がする。

 

早い昼食代わりにファミマに行って、パスタを注文。想像を超える辛さのパスタで、台北の若者はこんなの食べてるのかとのけぞる。

 

連絡していた味王から、今日は今度のノイズ企画のオーガナイズで手一杯になってしまい、社会的活動は不可能になった、と連絡。それはしょうがない。味王は、去年AMFであわせて出版されたサウンドアートの本で、インタビュアーや英語の翻訳などに名が載っている、女性のDJだ。DJと言っても非常に政治的な作品が多く、演説をループ&スクラッチしたものなど面白い。夕方に会おうかという話をしていたのだけれど、というわけで。

時間が余ったので、孔子廟へ歩くことにする。まず草御殿の近くの台北橋で、録音をしてみた。水辺の空間だが、人がいる感じはほとんどなく、散歩やジョギング、サイクリングをしている人がいるくらい。ゴミもほとんど落ちておらず、少し驚いた。

孔子廟では、昨日と同じ、畏怖を覚える像が沢山あり、なかなか驚いた。カフェに入り、ジャレッドやシーザー氏と連絡しながら、先行一車にあとでいくスケジュールをなんとか固める。

 

 

夜に、民権西路駅で、黒狼/ブラックウルフことダワンさん(黃大旺)に会う。アルス・エレクトロニカも受賞し、多くの芸術家と交流する台北のシーンの大物・・・という具合ではなく、文化を担っている個人としてお会いしたつもりで、前から連絡もしていた。ちなみにノイズもやればダンストラックも作り、伝統歌謡からフリージャズまでもする。10年ほど前には関西に在住していた経験もあるということで、日本語で。

歩きながらポルノの話をし、ご飯屋さんに連れて行ってもらう。汁なし炸醤麺とワンタンのスープ。おいしい。持っていた本をお貸しする。日本の文化状況への理解も深く、BL進化論から寺山修司まで翻訳もしているということで、誤解されることは一つもないと確信していた。杉本さんの本と、ゲンロンのゲーム特集をお渡しする。本を読む手つきが美しい。

また歩いてカフェへ。地下鉄の地上部分に造営された公園などを見て僕がはしゃぐと解説してくれる。あと最近は台北も地価が上がっているらしく、ロンドンやNYと似た展開のようだが、個人的には東京はあんまりそういう話になっていないことを内心思ったりした。カフェでは、黒狼の最近の活動の話、とくにジャズについて、音楽家たちとの交流で進めているプロジェクトであると聞く。音楽家がいるから音楽を作るという取り組み方は、魅力的だと思った。そのあとゲームの話になり、80年代文化やMAD動画などで盛り上がる。

先行一車に行く予定というと、案内していただくことに。途中の電車で、現在の台湾の政治状況やネット内政治状況の話を聞き、社会的パニックやストレスでの体験の話をする。僕は震災の話しか引き出しがない。ジム・オルーク氏など、どのように思っているのだろうという想像を唐突にする。

 

 そのあと先行一車へ。ここは現在の台湾のノイズの震源地の一つで、最近はレーベルもやっている。ここまでですでに明らかだと思うが、現在、台湾は即興音楽だけでなくノイズミュージックの新しい動きがあり、そこにメディアアートやネットアート、舞踏などが絡み合った、うねりがある。その一つの現場がここなのだ。

とはいえ、噂通りの普通の家。普通の部屋に、カウンターと、隣の部屋にレコードがぎっしり。ジャレッドに会う(ちなみにジャレッド・シューはベルセルク名義でノイズを作っており、その音源からファンになったのだけど実はとても若く、19歳でメルツバウとのスプリットアルバムを出し、今まだ大学生)。先日fbで見た、台南でのケージのナンバーピースの演奏はすごい良かったと伝える(ちなみに台南にも聴説という場所があり、そこは即興演奏のアリス・チャンらが運営していて、独自の音楽を育んでいる)。シーザー氏を待ちながらビール。ダワンさんが歌謡曲をかける。地下のライブ部屋に行くと、少し前に爆音でギターフィードバックを4台のアンプでかましたら、上階のものがすべて振動し、近所から怒鳴り込まれて、最近はここではなく、公道の地下道で勝手にやるプロジェクトを始めたと聞く。いい話。

シーザー氏が来て、ノイズの話をする。年始に大友さんもいるFENが来た時、dinoとデュオをしたハードなインプロギター奏者。ジャレッドが、高校生の頃デスメタルバンドをやろうとしたがメンバーがいなくて、ここに来たらノイズを始めたとか、dinoのノイズは高周波が凄そうだが、やっぱりそうとか、そういう話をする。そばを北山Q男が通過していった。先行一車は5年前にオープンしたらしい。いい話。

 

3日目。昨夜、投宿前に寄ったコンビニで買ったおにぎりとお茶で早朝に朝食。ふたたびお堂まで散歩し、屋台で看板を指差して炒飯を食べる。空腹だったので高速で食べた。ふらっと散歩を続けると、お堂の周りにもお店があり、そこでは煮魚や鴨などのぶつ切りや蟹など、無意味なまでに美味しそうなものを並べビールを飲んでいるおじさんなどがいたが、個人的な言語能力の限界でそれは注文できなそうだと判断した。次は知り合いと一緒に来るしかない。お堂で録音。

 

 翌日は早朝チェックアウトの可能性があったので、ここでお支払い。ヤンさんと話していると、今日が祝日であるということを今さら知る。銀行はやっていないと言われ、インドの銀行の話に。今日この後、草御殿ではイベントがあってヤンさんはタブラ奏者でもあるので演奏するのだが、そのあとは僕は温泉に行って休むんだよね。と言われた。だから今夜はあなたが独占で、静かで良いですよねと言われ、いや預かっている鍵とかどうすれば、と聞くと、そこに置いておけばいいよ、扉あけっぱなしでアハハと言われて、正直すこし不安になる。早朝は草御殿は全員寝ているのだが、ここはユカ街からの観光客が多く、客が扉を開けようとしているのを散歩帰りの私はすでに見ていた(施錠されているので、客は入れず)。同じようになって、客が入ってきたらどうするんだろうかと思うが、あまりに不安すぎ、かつヤンさんが自信ありげだったので花崎さんにも連絡しなかったが、まあ、なんとかなるだろうと思うことにした。

 

メディアアーティスト集団lolololのシャ・リンから、ギャラリー情報が送られてきたので、行ってみることにする。台北科技大のすぐ近く。科技大の建物が、大きい建物に巨木がめり込んでいるような外観で、見た瞬間あんぐりした。しかも周囲全体に緑というか、植生が炸裂しており、むしろその外観に知性と知性への誇りを感じた。生半可な自信ではこれはできないだろう。と思うと、ダワンさんから難関校だとツイッターで教えてもらう。深く納得する。

ちなみにギャラリーは祝日で閉まっていた。

 

夜は待ち合わせの西門へ。半年前AMF/アジアン・ミーティング・フェスティバルが行われた中山堂に立ち寄ってみる。すぐ近くのカフェにも行ってみて、半年前ここでコンサート観劇前にwifiのバッテリーが切れやや焦ったことを思い出した。とりあえず通りに戻って、デパートに入ってみるなど。

それからlolololの二人、シャ・リンとシェリル・チェンと再会。半年ぶり。ちなみに知己を得たのはアジアのノイズを探していた時に、環境音や身体音とノイズを合わせた独特な演奏をしていたシェリルさんの映像を見つけ、fbで知り合いに成ったのがきっかけ。その後こちらのトラックを再構成した作品とか、去年はバンコクビエンナーレで40人以上の作家をオーガナイズしたオンライン・パビリオン「フューチャー・タオ」に作品を入れてくれたりとか(フューチャータオは、年末に実際のギャラリーで展示として展開した)、それで去年AMF後に、シャ・リンとシェリルさんと会ってとか、そういう感じだ。全体のベクトルはシャリンが突き進み、英米で美学修士まで持っているシェリルさんが哲学や美学を駆使したプレゼンテーションを構築する、という具合に近い。

排骨飯のお店へ連れて行ってもらう。ここ、元はディスコで、改造して飯屋にしたのヤバイでしょフフフというシェリルさんの言う通り、池袋とかにありそうなギラギラした店内だったが、何よりも各所に置かれたモニターから、なぜか日本の演歌番組が流れており、きみまろ司会の襟裳岬や高校三年生などを聞くことになった。麺や飯、豚、鳥などを食べながら、最近のプロジェクトの話を聞く。情動や漢方(漢方と言ったら、それは漢の事なので、ただのメディスンだねと言われた)や、薬理と詩人が両立する伝統医療の話を聞いたりした。二人とも台南で二ヶ月近くレジデンシーで滞在しており、とくにシェリルさんは漢方のドラゴン・スープに用いる植物を使った作品を構想しているという。どういう体系なのかと聞いていると、むしろ呪術と薬学が近接していて、メタファーで全てが繋がっているようだ、と言われる。フーコーの言葉と物の前半を思い出した。その合間合間に、襟裳岬の歌詞の解説などをする。

 

西門の繁華街を歩いてカフェへ。ここは原宿と渋谷と合体したような街並みで、毎回驚く。歩きながら、去年のフューチャータオの展示の話をして、大成功で、予想した以上の集客があったようだが、シャリンはそれに慎重なようだった。会場内に高さの違うカート付きの椅子を3個置いていて、来た人がそれをどう使うかをずっと見ていて面白かった、という。本当の展示はその椅子を皆がどう使うかという、現場の動きだったのだといって笑っていた。どことなく、わずか半年前に会った時と比べて、作家としての自信を身につけているようだ。道すがら一服しながらシェリルさんに、最近公開されたdinoのインタビューが良かった、と言うと、dinoの酒量がすごくてインタビュー中もずっと飲んでいたという話を笑いながらしていた。

カフェでは、最近、改めて関心を持っている、身体の限界値に近い領域でのテクノロジーアートの話から。2010年代の話や、空間の芸術などの話から、次第に彼らが持っている関心へと話題が移行する。どこに焦点を当てているかと聞くと、現象や感覚であり、テクノロジーとしての医療や体術、諸々の技芸などとの関係を見ている、というような会話に。そこにアウトプットする時にもう一撃として、現代的なロボティクスやサイバネティクスを差し込んでくる。途中、二人の話がすれ違ったり、また交差したりするのも面白かったが、こちらとしてはしばしば念頭に置きがちな物理的な問題や、論理・コンセプト・コンテクストの面から立論していくのと違うアプローチで(そしてこちらの問題関心は彼らにとっては部分的にせよ前提であるという風でもあったので)、非常に新鮮な議論に感じられた。表面的にはサイバーなアートだが、独自の奥行きがある。彼らにとってもあまり議論をする人がいないというので、台北のアートレビューの話題や、あとは製作中にPCが止まる話とかで盛り上がる。

去年の展示のための大きいポスターをもらって帰る。

 

 

翌朝、早朝5時に起きて、チェックアウトの準備。不安だった鍵は、たまたま運営のハンサムな男性が起きてきたので、鍵を返し、閉めてもらう。安心した。

国父記念館へ。ここでシャと落ち合い、彼女のプロジェクトである3C武術について体験。基本の型というのを解説してもらい、自分もやってみる。面白かったのは、型が機械の形を模したものであり(蟷螂拳とかのコンピュータ版だと思えばいい。カマキリの構え、の代わりに、デスクトップモニタの構え、があるのだ)、つまり身体にコンピュータの形態を入れていくわけだが、それが同時に瞑想的な雑念を払う経験でもある、というコンセプトだということ。要するに機械になることで、無駄な思考をしなくなり、動作だけがある身体になるというわけだろうか。そうした瞑想の要素は型の一つだけだったが、それを聞いて、非常によくコンセプトが理解されたし、また実際にやってみることの面白さも体験した。身体と感情が、直接的ではないが、ある形で繋がっているのだ。

これはなかなか面白い。というと、何かそちらから提案は、と言われたので、よく分からないが唐突にフットワークの動きを記憶から再現して披露してみた。あと、アイデアとしてはスマートフォンのスクリーンなどはどうだろうかと言ってみる(これらはなかなか気に入ったらしく、ついさっきも、直接タッチするのではなく、エア・モーションで作動するスマホ画面、というのが送られてきた。もう気功のようだな、と返した)。とりあえず身体的な限界を感じ、ここで切り上げて食事へ。記念館の公園で録音した。

 

そのあとは、チェーン店でハンバーガーやマフィン。ピーナツバターが使われており、安いのにおいしい。彼女たちは祝日なので、これから家族とお墓詣りに行くのだという。盆踊りというのが日本にはあって、という話など。

 

 

眠いので、そそくさと帰る。